若者、半端ないって④ 形式的には「韓国人」実質的には「日本人」。私は、「境界人」(東京大学院)

(2018.11.09)

こんにちは。「未来ドラフト2018~わたしと難民がつながるアイデア・コンペティション~」 で優勝したアイデアを実現させるために挑戦しているユースチーム「アイデア実現部隊」のメンバー、東京大学大学院在籍中のカン スンヒョンです。

日本の若者で構成されている「アイデア実現部隊」のメンバーに、カン スンヒョンという名前を見て疑問に思う方もいると思います。この機会に、私のストーリーと、このプロジェクトへの思いを共有させていただきます。

私は境界人です

私は韓国人の両親の下で日本に生まれ、小学校3年生のときに韓国に渡りました。日本にいたときには「名前がおかしい」ということで同級生の子どもたちに笑われることが何度もありましたが、そういう状況でも自分が「日本人」だとか「韓国人」だとかは考えたことはありませんでした。今考えてみると、それは当時私が毎日のように通っていた韓国人教会に私のようなバックグラウンドを持つ友だちがたくさんいたので、わざわざ「日本人」と「韓国人」を区切って考えなくてもよい環境にいたのだと思います。

私がアイデンティティについて悩むようになったのは、韓国の小学校に通ってからのことです。日本語より韓国語で物事を考えるようになったとき、日本と韓国の間にある島の領有権をめぐった問題が社会を騒がせていました。ちょうど同時期に小学校で植民地時代のことを学んでいたので、この頃よく言われたのは、「お前が日本の味方なのか韓国の味方なのかこの場ではっきりしろ」でした。

でも、次第に、「アイデンティティを決めるのは自分ではない」ということに気付きました。

血統・国籍は韓国でありながら、生まれ・育ちが日本であるということは、<形式的には韓国人、実質的には日本人>であると、私のアイデンティティを恣意的に決めつけたのは周りの人たちでした。私のようにどこにも完全に所属できない人たちを、世間では"Marginal Man"、つまり「境界人」あるいは「周辺人」と呼んでいるそうです。

韓国ジョンジュにて韓国ジョンジュにて

居場所になってくれたミッション・スクール

小学校を卒業した後、私が進学したところは田舎にある小さなミッション・スクールでした。このミッション・スクールは少し特殊で、危険地域や危険国家と分類された場所に派遣された宣教師の子どもたちを預かるところでもありました。一人ひとりのストーリーはまさにそれぞれで、今までの生活が実に不安定であった子どもたちにとって、少なくともこの学校では安心することができました。

私は両親の都合で転校を繰り返しながら多くの学校に通いましたが、他の境界人に会ったことはありませんでした。行く先々の大人や子どもたちに「今までにないタイプの子どもでどう対応すればいいのか分からない」、「気遣うことが多すぎるから面倒」と、多くの人たちに諦められてきました。放置されるようになった私は、誰も信用できなくなり、周りからの助けは一切求めず一人でどうにか生き抜こうとしてきました。このときに形成された「生き抜き戦略」は、とても未熟でありながらも、長く、強く、根付くものでした。

私の「生き抜き戦略」は、日本で生まれ育ったことを徹底的に隠す、でした。日本語は絶対に忘れようと、日本での思い出は消そうと、とても必死でした。大げさだと思われるかもしれませんが、 親戚の子どもにまで「韓国をいじめた裏切り者」と言われたことが引き金となり、 自分の身を守るために私が考えられた最善の策でありました。(もちろん、今の韓国では日本に対する社会的雰囲気は大きく変わりました)

私の人生の大部分を否認しなければどこにも受け入れてもらえないと思っていたとき、同じ悩みを抱いていた人たちが集まっているミッション・スクールに出会いました。自分を否定しなくても許される、どちらかに所属しようと必死にならなくても良い唯一の場所でした。やっと「居場所」ができたことで、生き抜くことに精一杯だった私にも、周りの人たちのことまで考えられる余裕ができ、とても不思議でした。

私が通っていたミッション・スクール

ビディビディの子どもたちにも「居場所」を

境界人の定義はここでは詳しく述べませんが、私は難民もどこにも完全に所属できていない境界人だと思っています。私が境界人であることをこの場でお伝えしているのは、私の状況と難民の状況を同一視しているからではなく、「私と難民がつながるアイデア・コンペティション」を通じて、これまで境界人として経験してきたことが「私と難民をつなげてくれている」一面であると考えるようになったからです。

私にとって、このプロジェクトで強調している「互いの違いを乗り越えて仲良くできる」ということは、「居場所を見つける」ということです。自分が持つ違い、相手が持つ違いのみに気をとられてしまうと、自分だけが生き抜くことを考えます。子どもが窮地に追い詰められて立てる「生き抜き戦略」はとても未熟であり、その戦略が大人になったときにも続く場合、ときには社会全体を巻き込むほどの危険性を持つと思います。

しかし、互いの違いを乗り越え、私たちの中に内在する「共通のなにか」に気づき、自分の居場所を見つけたと思うとき、「ともに生きること」、すなわち平和を工夫するようになります。平和を成し遂げるということは、複雑でありながらも、ときには単純だったりもします。次世代を担うビディビディ難民居住地の子どもたちが、自ら「ともに生きること」を考えるようになるきっかけをつくるという点から、このキャラバンは「"何もかも"はできなくとも、"何か"はきっとできる」ものであると信じています。

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