【ウクライナ危機】ある女性の体験―キエフを後にして

(2022.03.11)



イリーナさん(56歳)は、爆弾が投下され始めた時、娘と息子、そして義理の娘と15カ月の孫、アナベルちゃんと一緒に、ウクライナの首都キエフから車で逃げだしました。

イリーナさんの夫と年老いた彼女の両親は、車に十分なスペースがなかったためキエフにとどまらざるを得ませんでした。イリーナさんは、体に障がいがあり両足に痛みがあるため容易に歩くことができず、息子に世話をしてもらわなければなりません。そのため、旅路は一段と厳しいものとなりました。

イリーナさんと家族は、ウクライナ南部の街に着きました。紛争が始まってわずか一週間で、街には500人の避難民が到着していました。避難してきた人々は病院の近くにある学校や宿泊施設に滞在し、地域の住民やボランティアによって食べ物や水が届けられています。これまで受けてきたこのような支援に、避難民の人々は感謝しています。


ウクライナへ緊急支援物資を輸送

ワールド・ビジョンは、3月6日、ウクライナ国内への最初の支援物資の輸送を行いました。地域の病院を経由して、イリーナさんのような避難生活を送る人々に、食料、毛布、掛布団、枕、シーツ、タオル、石けん、洗剤等を届けました。また、冷凍の魚、肉の缶詰、小麦粉、油、塩、そば粉、パスタ、バター、お茶、コンデンスミルク等、200人が2週間飲食するのに十分な食料を提供しました。

「私たちの街は爆撃されました。私たちは恐怖で怯え、自分の街を離れなければなりませんでした。すべてが爆撃されたので、ここに来たのです。ここに着いてから、たくさんの建物が破壊されたことを改めて知りました。私たちの家も、もうなくなっているでしょう」と、イリーナさんは語ります。

「自分と子どもたちが生きてることを、神様に感謝しています」

イリーナさんは体に障がいがあり、息子に世話をしてもらっています。 イリーナさんは言います。「子どもたちは泣いていました。私たちは、街を出て国境を越えることを望んでいたのですが、税関の職員は、私たちがいくつかの書類を持っていなかったので出国を許可してくれませんでした。だから私たちはここにとどまらざるを得ないのです」

彼女は、避難当時のことを思い出しながら語ります。「試練だらけです。人々は泣いています。キエフには食べ物がありません。私が紛争を経験するのは、これで2回目になります」

衣服や食べ物、薬、子どもたちが必要とするものは提供されています。しかし、次の言葉が彼女の想いです。「ここにはシャワーがありません。でも、私たちは感謝しています。私たちは避難民として、多くのものを必要としています。飲み水も十分ではありません。でも、私たちは、自分と、そして子どもたちが生きていることを神様に感謝しています」

現在、200万人がウクライナの紛争から逃れるために家を追われています。
仕事、持ち物、愛する人を残したまま、避難を余儀なくされた人々は食料と水を必要としています。