「新しい町を作っていくのは、私たち」
-南三陸町の高校生ジュニア・リーダーが国連にてスピーチ

3月6日(水)、皇太子殿下もご出席されたニューヨーク国連本部で開催された「国連事務総長水と災害に関する特別会合」で、宮城県南三陸町出身の三浦ほのかさん(18歳)が、東日本大震災による被災と、ワールド・ビジョン・ジャパンと行った"「子どもに笑顔を!地域に夢を!」南三陸町まちづくりプロジェクト」の経験について、英語で約10分間のスピーチを行いました。

スピーチに込めた思い

意気込みを語る三浦さん
3月5日(月)、出発に先立ちワールド・ビジョン・ジャパン事務所で記者会見が行われ、三浦さんは

「震災後、世界中からたくさんのボランティアの方々に協力してもらいましたが、ずっとボランティアの方々に頼るわけにはいきません。"私たち南三陸町民が、新しい町を作っていくんだ"ということや、復興のために私たち10代の若い力を活用してほしい、と訴えたいと思います」

と意気込みを語りました。

三浦ほのかさんのスピーチ内容(日本語・全文)

国連本部、特別会合の会場
「私は、中学校1年生からジュニア・リーダーという地域での活動を行っています。ジュニア・リーダーとは、教育委員会の育成・指導のもとで、地域の子ども会活動のお世話をはじめ、小学生を対象としたキャンプ等の運営補助や地域イベントのお手伝いをする中高生ボランティアのことです。

これから、私自身が体験をした東日本大震災後の避難所での生活についてと、震災からの復興へ向けて取り組んできたジュニア・リーダー活動についてお話しします。

震災発生当日の状況

震災発生直後の南三陸町
2011年3月11日。南三陸町は、10m以上、高いところでは、20m以上の津波が押し寄せ、町の7割以上を失うという壊滅的な被害を受けました。私は、学校が休みだったため、家で横になっていました。

突然の大きな揺れに驚き、すぐに外に出ようと思いましたが、どんどん大きくなる揺れに身動きが取れなく、玄関で1人うずくまっているところを、外で仕事をしていた父に助けてもらいました。

高台に避難をし、海の様子を見ていると、どんどん波が引き、知り合いのおじさんの船が波に引かれ沈んでいく様子は、映画のワンシーンをみているようでした。私の家も一瞬で津波にのみ込まれ、予想以上に津波は大きく、逃げても逃げても津波は押し寄せてきました。津波と同時に雪も降ってきました。凍える寒さのなか、私たち家族は、さらに高台にある保育園に避難しました。

避難所で出会った子どもたち

避難所で遊ぶ子どもたち
約2カ月間の避難所での生活。家が流され大切なものがなくなり、これからどうしようという不安な気持ちや、知人・友人の安否、ジュニアリーダーの仲間の安否が気になり、何も手につかなく、ただただ毎日が過ぎていきました。

そんなある日、笑顔がなく、どこか暗い小さな子どもたちの姿が目に入ってきました。私は、すぐにこの子たちを助けてあげなくちゃ、と思いました。

子どもたちは地震への恐怖や、ばたばたしている大人たちを見て、不安が大きくなったり、遊びたくても遊べなかったり、小さな子どもたちなりに、たくさんのものを抱えていたはずだったと思います。

今この場でこの子たちを助けてあげられるのは自分しかいないと思い、この避難所でジュニア・リーダーをやろうと決めました。

子どもたちの「校長先生」に

笑顔を見せる子どもたち
子どもたちとはすぐ仲良くなり、本を読んであげたり、絵を書いたり、カルタをしたり、ジュニア・リーダーで身に付けた手遊び歌をしたり、遊びは限られていましたが、一緒にいてお話をしているだけで子どもたちの表情は明らかに違いました。

子どもたちといるだけで、私自身も楽しく笑顔でいれました。毎日一緒にいるうちに子どもたちは、私のことを"校長先生"と呼ぶようになりました。

震災から1カ月がたった4月の半ば、小さなコンサートが開かれました。私は、そのコンサートの司会を教育委員会の方から任されました。久しぶりに歌をうたったり、体を動かしたり、子どもたちはすごく楽しそうで、コンサートの会場は一瞬で笑顔につつまれました。子どもたちの笑顔を見た保護者たちは、「笑っているのを久しぶりに見たー」と言いながら泣いていました。子どもの笑顔の力はすごいなーと思ったし、私たちがもっと子どもたちを笑顔にしてあげなくちゃ、と思いました。

「まちづくりプロジェクト」をスタート

ワークショップで話し合う三浦さん(中央)
南三陸町の復興へ向けて、私たちジュニア・リーダーには何かできないのか?被災した地元をいつか必ず復興させたい!!という思いから、町の復興にジュニア・リーダーの意見を反映させようと、ワールド・ビジョン・ジャパンさんの協力のもと、復興まちづくりワークショップを行いました。

役場の方から復興計画について説明していただいたり、町内の小中高生に復興についてのアンケートを行ったり、それらをもとにワークショップを積み重ねてきました。ワークショップをしているうちに「子どもに笑顔を・地域に夢を」というテーマができました。「子どもを笑顔にするためには?」「夢ってどうやったら持ってもらえるの?」難しい問題がたくさんありました。

「カフェつき公民館」を提案

佐藤町長に提案書を届けました
「地域の中で年代関係なくたくさんの人とつながりを持ってほしいよね」ということから、公民館の中にカフェをつくるのはどうだろうかと考えました。公民館にカフェがあったら、たくさんの年代の方が利用してコミュニケーションをとり、人と人とのつながりをつくれる場所になるはずだと私たちは考えました。


そのほかには、公園をつくろう、公園をつくったら子どもたちが遊べるし、お年寄りの生活不活発病の改善にもつながる。図書館の中には町の歴史を知る展示コーナーがほしい。災害に強い町にしたい、ということから大きな避難マップを町の目立つところに置く、などといったことを考えました。

こういった考えを提案書という形にし、昨年の6月に町長さんへ直接手渡しをしてきました。町長さんからは、南三陸町が復興していくうえでジュニア・リーダーの皆さんとは復興のパートナーでありたい、という言葉をいただきました。

「世界中でたくさんの10代の若い力を使ってほしい」

南三陸町のジュニア・リーダーたち
私たちジュニア・リーダーは、自分たちで考えた公民館で活動することが夢であり、これからの目標です。ジュニア・リーダーとして、子どもたちとの関わりや、町の行事に参加している私たちにしか感じることのできない、町に対する思いを含めた提案書ができて、素直に嬉しいと思うし、自分が町の復興に携われたことを誇りに思います。

はじめは、ジュニア・リーダーが復興を考えるなんてムリだと思っていた大人も多くいたはずだと思います。しかし、私たちジュニア・リーダーは、最後までやり遂げることができました。もちろん、私たちを支えてくれる大人の方々がいたからです。

「子どもになんかムリだ」と言う前に、少しでもやらせてみてください。大人だけでは見えない私たちの目線があります。時間はかかるかもしれません。でも、たくさんの新しい発見があるはずです。私は、世界中でたくさんの10代の若い力を使ってほしいと、この活動を通し感じました。

「新しい南三陸町をつくっていくのは、私たち」

スピーチを終え、笑顔を見せる三浦さん
東日本大震災から、もうすぐ2年が経とうとしています。町のがれきもだいぶなくなり、かわりはてた町の風景も見なれてきました。

震災後、世界中のたくさんの方々が私たちを助けてくれました。本当にありがとうございます。今も、ボランティアの方がたくさんきてくれています。でも、いつまでもボランティアの方に頼るわけにはいきません。新しい南三陸町をつくっていくのは、ボランティアの方たちではありません。私たちなのです。「子どもに笑顔を・地域に夢を」を今後もテーマにし、私たちが新しい南三陸町をつくり、南三陸町民として、そして、ジュニアリーダーとして、南三陸の人たちに夢と感動を届けていきます」

英文でのスピーチ内容はこちら

  • 東日本大震災緊急復興支援の方針・報告等はこちら





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