東日本大震災から10年。スペシャルインタビュー:佐藤可奈子さん

(2021.03.15)

2011年3月11日に発生した東日本大震災から10年。ワールド・ビジョンでは、震災発生直後より、世界各地の緊急人道支援の現場で培ってきた経験を最大限に活かし、行政機関、企業、団体、NGO/NPOと連携して支援を行いました。

2021年3月6日(土)に開催したオンラインイベントでは、東日本大震災緊急復興支援事業の責任者だった木内真理子(現事務局長)と事業担当スタッフが当時の活動を振り返りつつご報告しました。

イベントでは、東日本大震災後に南三陸町のまちづくりの活動に取り組んだ元中高生ジュニア・リーダーで、現在は南三陸町で社会人として活躍されている佐藤可奈子さんへのインタビュ―動画もご紹介しました。

イベントではインタビューのごく一部しかご紹介ができませんでしたが、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。この記事でぜひ全文をご覧ください!


南三陸町の町長に提案書を提出するジュニア・リーダー。前列の左から3人目が佐藤さん(2012年6月)

佐藤可奈子さん プロフィール

一般社団法人南三陸町観光協会南三陸さんさん商店街観光コンシェルジュ

中学生時代に「MVCぶらんこ」のジュニア・リーダーとして活動し、「南三陸町まちづくりプロジェクト」でワールド・ビジョンとともに活動


南三陸町とワールド・ビジョン・ジャパンによる子ども参画の事例
~南三陸町まちづくりプロジェクト~


佐藤可奈子さん


現在は観光協会で働いていらっしゃるとのこと、どんなお仕事ですか?

南三陸町観光協会では、わたしはさんさん商店街という南三陸町の観光スポットで、観光コンシェルジュとして町の案内窓口のお仕事をさせてもらっています。

最初は南三陸町のイベントなどに携わっていたのですが、母のお店のお手伝いも必要になったので、母のお店も手伝いながらパートとして観光コンシェルジュの仕事を始め、以来さんさん商店街の窓口に携わらせていただくようになりました。

10年前と今と変わってきましたか?

そうですね、だいぶ。10年前は中学生だったので、わたしが今こういう仕事をしていることもそうですし、南三陸町の町並みもがらっと変わったので。住まいも震災の関係で変わっているので、10年前に比べたらすごく変わりましたね。

宮城県南三陸町(2020年10月撮影)
インタビューに答える佐藤さん
リモートでインタビューをした目黒スタッフ

小さいころから地元の町が大好きだったそうですね。どんなところが魅力ですか?

小さい頃から地元の海や里で遊ぶことが大好きで、海にダイブしたり、砂浜でよく祖母と一緒に潮干狩りに行ったり、海と触れ合うことが大好きでした。海に限らず里山と、うちは畑もやっていたので、自然に触れ合う機会も多くありました。

震災前は母が志津川の賑わっていたところでお仕事をしていました。母が勤めていた職場から一番近いところに「おさかな通り」という商店街があり、お魚屋さんなどが並んでいる場所でした。そこにいる人たちと関わることが大好きでした。なので、南三陸町の景色に限らず、そこに住んでいる人たちもすごく大好きでした。

自然も大好きで、そこに住む人たちと関わるのもすごく好きだったので、南三陸町はいろんな部分で大好きです。

震災直後からボランティアをしていましたが、どんなかたちで活動を始められたのですか?

自分としてはボランティアを名乗ってやっているつもりはなかったのですが。震災当時はベイサイドアリーナという大きな体育館で数千人の人が避難していましたが、そのなかに小さいお子さんを連れていた家族の方もいました。当時は小さい子が遊ぶ場所があまりなく、外に出て遊ぶこともできなかったので、限られた草原で遊んだりしていました。

支援物資として縄跳びやカードゲームも届いていたのですが、一緒に遊ぶ友だちがいなければ意味がない遊び道具もたくさんありました。それ見て、中学校からのボランティア活動の経験を活かして、その子どもたちと一緒に支援物資で届いた遊び道具を使いながら、避難所にいた子どもたちを集めてみんなと一緒に遊びました。

ワールド・ビジョンがご一緒した活動で、記憶に残っていることはありますか?

ベイサイドアリーナで舞台をしたことを覚えています。震災後すぐというのもあって、舞台という発想もなかったし、楽しい発想をしていいのか分からなかった中で、舞台をするというのがすごく楽しかった記憶があります。

最初に漫才をしてウケをとった記憶が残っています。あとは、子どもたちが一生懸命舞台の練習をして、最後の終わった瞬間に子どもたちと「終わったねぇ!」「良かったねぇ!」と言い合って一緒に達成感を味わったことを覚えています。

町長に復興計画を提出したり、幅広く活動されました。特に印象に残っていることは?

ワールド・ビジョンさんと一緒に活動するうえで、当時中学校高校の年齢で、大人とこれからの南三陸町についてお話をするといった、他の子たちが経験しないことができたなと思います。そういう大人と話す機会を持つことができて、すごく良かったと思っています。

活動後に改めて、町長に自分たちの意見をまとめて提示できた時のことなどを振り返り、みんなでこういう活動できてよかったねと話しました。この経験があったからこそ、今こうして南三陸町のために働く観光協会という職業に就けています。断片的にしか覚えていなかったのですが、お話しながら当時の記憶がよみがえってきました。

ワークショップの様子(左端が佐藤さん)
南三陸町の将来を考えました
子どもたちのまちづくり意見交流会

若い人の意見を出すことで地域が変わっていく、というような経験はありましたか?

ジュニア・リーダーをやっているときにももちろん感じたのですが、ジュニア・リーダーの卒業後に感じることも多いです。

いざ町側の人間として自分が聞く側になって、当時の私と同じくらいの子どもたちと町の将来について考える場に招かれたとき、「若い子たちが町にこういうことを望んでいるんだ」「いろいろ考えてくれているんだ」と思いました。

大人から聞く意見とはまた違って、子どもから聞く意見はすごく力があるというか、これからの南三陸町の糧になるのではないかとすごく実感する場がありました。それはこれまでのワールド・ビジョンさんとの活動やジュニア・リーダーとしての経験が繋がって、社会人になってこういう気持ちを実感できたと思っています。

南三陸町の子どもたちや、当時私たちが意見を出していた時期はすごく大切だったのだなぁと思います。

地域の若い人に伝えたいことはありますか?

震災から10年も経っているので、今の小学校低学年の子とかは震災を知らない子がほとんどですし、今中高生の子たちは震災を経験していても小さい頃の思い出なので何も覚えていない子のほうが大半だと思います。

南三陸町は震災から10年経過しましたが、当時すべてが津波で流されてしまったので、もしかしたら若い子からすると一見何もない町にみえて魅力は欠けているかもしれません。ですが、今の南三陸町に住んで、改めて海だけでなく、これから里山や公園も復興していくなかで、さらなる魅力を発見していけたらいいなと思います。

私から伝えたいことは、目に見えることがすべてではないということです。南三陸町は海も里山も素敵ですが、そこに住む人たちにも素晴らしい人たちがたくさんいるので、町で商業や漁業をしている方とたくさん交流をしていって魅力を知ってもらえたらいいなと思います。

インタビューを終えて(インタビュアーの目黒より)

10年前に中学生だった佐藤さんが、今は地域を支える立派な大人として活躍している様子をうかがって感激しました。南三陸町を愛する強い気持ちも、ヒシヒシと伝わってきました。佐藤さんのようなお一人おひとりが地域に寄り添い、若い人たちも今の大人たちも力を合わせて一緒に今の町を作り上げていらっしゃるのだなと感じました。佐藤さんの愛する南三陸町を、さらに魅力的に発信していただきたいなと思います。観光にうかがったときは、ぜひおススメの場所を教えてください。

佐藤さん、お忙しい中をお話を聞かせていただき、ありがとうございました! 今後のさらなるご活躍、応援しています。

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