「みんなと違う」を受け入れる先生たち
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Gが大事らしい。ゴキブリではない。
ヨルダンの口語アラビア語では、単語の冒頭にGをつけると、「強そうで、男らしい」ということがある。例えば、アブル(abl、「前」の意)を男らしく言いたければ、ガブル(Gabl)となる。家では物静かにアブルと言ったりする男の子も、間違っても女々しいと思われないよう、友達の前では見栄を張ってGを付けて使ったりするらしい。
とは言え、初級のアラビア語学習者にそんなことを言われても困る。単語を一つひとつ覚えるだけでも精一杯なのに、さらにGを付け足せというのは注文過多である。さらに厄介なことに、このGは、厳密にはGではない。教科書によれば「口の奥をこすり合わせながら、舌の根元をのどひこの上の柔らかい部分すれすれに近づけ、そのわずかなすき間に息を通して」出す音らしい。そんな芸当をいちいち披露していては会話どころではない。
ほとんどの言語学習者にとって、「みんなと同じ」ように話せないことはコンプレックスだろう。発音や間違いを笑われることが、どれだけやる気をくじいてしまうか、私たちの多くは知っている。Gの大切さを教えてくれたヨルダン人の同僚、アセンダーもまた、アラビア語を第二言語として学んだチェチェン出身者(母語はチェチェン語)であり、その説明には彼自身の経験の裏付けがある。

見えないドア
ワールド・ビジョンは、ヨルダン北部の都市イルビッドで、インクルーシブ教育事業を行っている。ヨルダンでは、障害を抱える子どもの約8割は不就学の状態にある。この事業は、そんなヨルダンの中でも、障害を抱える人の割合が最も高く、また、隣国シリアからの難民も多く暮らしているイルビッド県で、施設整備や教員研修などの活動を通じて、「すべての子どもたち」のための学校づくりを目指している。
「すべての子どもたち」のための学校づくりは、往々にして、理想と現実の隔たりが大きい。「すべての子どもたち」がともに学べる学校をつくる「べき」と考えるのは簡単だ。ただし、その素晴らしい考えに賛成するとき、私たちはしばしば「すべての子どもたち」がどれだけ多種多様であるか、想像力が及んでいなかったりする。こうであるべき、という「正義」をまとったインクルーシブ教育論は、現場に求められる柔軟性に似つかないことも多いのかもしれない。

文化心理学者の出口真紀子さんは、特権とは「自動ドア」であると言った。つまり、特権とは、享受する人にとっては無自覚のアドバンテージである。だから、学校に通うことや学ぶことにチャレンジを抱えている子どもの困難に、多数派の人々は想像を馳せることはおろか、気が付くことも容易ではない。社会や学校が気付いてすらいない困難を抱える子どもたちを受け入れるにあたっては、理想を語ることは簡単でも、現実は難しいことばかりでもある。
先生の描く教室
一方で、インクルーシブ教育の「理想」を語ることが夢物語かといえば、そうでもない。
女性教員のアイシャさん(仮名)は、教育研修を受けた後、「自分の、先生としての根本的な考えが変わった」と教えてくれた。幼いころは彼女も口下手で、アラビア語の子音を上手に発音できなかったことがコンプレックスだったらしい。そんな自分をからかう人もいて、学校での自分が嫌で恥ずかしかった、と言う。

なるほど、ネイティブのヨルダン人でもアラビア語の発音には苦労をするのか。毎日、瀕死のニワトリのような音を発している自分も少しホッとする。
アイシャさんは、どんな教師像を思い描いているのか、聞いてみた。すると彼女は真剣な顔つきでこう言った。
「自分が人と違っていても、安心していられる学校を作りたい。」
人生で初めて経験する教室という小社会で、自分が「みんなと違う」ことに気が付いた子どもが、どんな気持ちになるか、彼女は知っている。自分がみんなと比べて不十分で、場違いなのだと感じてしまう気持ちは、心に蓋をしたくなるような痛みを伴っている。
だからこそ、「みんなと違う」と感じている子どもを独りぼっちにしない、そんな関係性をつくることが目標だとアイシャさんは言う。特別なニーズを抱える子どもたちがいることは確かだ。だけれども、実際には、すべての子どもたちが違っていて、それぞれに何かに悩んでいたり、問題を抱えている。アイシャさんは、子どもたちがそうした他者と出会い、お互いの特徴や違いを受け入れ、一緒に学んでいく教室を思い描いている。これもまた、実現が簡単ではない一つの理想かもしれない。でも、そんな教育観とも呼ぶべき理想を握っている先生は、きっとたくさんの子どもたちに、かけがえのない居場所を提供していくのだろう。

難民庇護国の先生たち
アイシャさんの話に頷きながら、思わず、ヨルダンにおける「先生の仕事」ってなんなのだろう、と考えてしまった。シリア危機発生から12年が経つ今日、様々な痛みを抱えた子どもたちがひしめきあうこの街で、先生とは何者だろう。
きっと、先生が教えるのは学業だけではない。アイシャさんの理想が示しているように、先生とは、実際には教える以上に、子どもたちを支え、励ます人、そして学校を越えた未来に備え、生き方のロールモデルを示す人でもあったりする。
子どもたちが学ぶ「生き方」は単なる座学でもなければ、箇条書きで教えてもらって腑に落ちるものでもない。むしろ、教室で経験する先生や同級生との関わり合いを通じて学んでいくものだ。アイシャさんが目指すような、学校における「関係性づくり」にあたっては、先生が「みんなと違う」を受け入れともに生きていく社会を目指し、子どもたちの小さな成功体験を教室で積み重ねていくことが大事なんだろう。
中東の難民庇護国で「インクルーシブ」を語ることには、また特別な意味がある。たくさんの「違い」をもって学校に集まる子どもたちの成功体験を一番に支えられるのは、そばにいる先生たちをおいて誰がいるだろう。ワールド・ビジョンの教育事業は、そんな先生たちの教室づくりを支援し続けていきたい。

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