ルワンダと難民|イギリスからの移送や内戦時の流出、日本の支援状況

東アフリカの小国ルワンダは、ICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)を重視する教育などを通したICT立国として知られ、近年は「アフリカの奇跡」と呼ばれるほどの劇的な経済成長を見せています。

その一方で、ルワンダと言えば、はじめに1994年のジェノサイドを思い浮かべる人も多いでしょう。わずか100日程度の間に80万人以上の国民が命を落としたと言われるこの虐殺の前後に、ルワンダからは多数の人々が難民となって近隣国に逃れました。このような歴史を背景に、現在のルワンダは、世界で類を見ない特徴的な難民受け入れ政策を実践しています。

この記事では、ルワンダの難民受け入れの歴史や現状を、最近話題になったイギリスからの難民移送の概要を含めて解説します。さらに、ルワンダから他国に逃れた難民の数を、内戦の経緯や内戦後のルワンダの状況とともにお伝えします。最後に、難民を含むルワンダの人々に対して日本が提供してきた支援についても、具体的に紹介します。

ルワンダの難民受け入れとイギリスからの難民移送

ルワンダで暮らす難民の子どもたち
ルワンダで暮らす難民の子どもたち

はじめに、ルワンダの難民受け入れの歴史と現状を、最新の統計データを使って見ていきましょう。最近になってイギリスからルワンダへの難民の移送が世界的な関心を集めたように、ルワンダは特徴的な難民政策を実践していますので、ここではこれについても詳しく解説します。

ルワンダの難民受け入れ数の推移

まずは、ルワンダがこれまでに受け入れてきた難民の数の推移を見てみましょう。
以下は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が公開している1965〜2021年までのルワンダの難民受け入れ数をグラフにしたものです(注1)。

1993年の1年間のみ、爆発的に難民受け入れ数が増加していますが、この年には隣国のブルンジから25万人の人々が難民としてルワンダに避難したとされています(注2)。これは、この時期のルワンダ内戦と関係する動きであるため、後ほどルワンダから他国に逃れた難民の数を紹介した後で詳しく解説します。


1994年には元の水準を下回る約6,000人にまで難民受け入れ数が減少しましたが、その後は再び右肩上がりの増加が続きました。2015年には難民受け入れ数が7万〜14万人台へとほぼ倍増しましたが、これは隣国ブルンジからの難民の急増によるものです(注3)。この影響で2017年に17万人を突破したのをピークに、それ以降は減少が続いています。

なお、2021年時点でルワンダに避難している難民は合計約12万2,000人ですが、このうち7万4,000人弱がコンゴ民主共和国、4万8,000人弱がブルンジからの難民です(注3)。


ルワンダの難民受け入れ政策

ルワンダは隣国のコンゴ民主共和国からの難民を長年受け入れており、2015年以降はそれに加えてブルンジからの難民も多く、継続的に受け入れています。さらに、近年は、他国で保護された難民などを一時的に受け入れる政策も行っています。

北アフリカのリビアは、2015年の欧州難民危機以降、地中海を越えて欧州へ渡ろうとする難民たちの中継地点となっています。主にソマリアやエリトリアなど「アフリカの角」と呼ばれる東アフリカ地域出身者で構成される難民の一部は、リビアの拘留所で劣悪な環境に置かれているのが現状です(注4)。

2019年9月、リビアの首都トリポリとその周辺地域の治安悪化を受けて、リビアにいる難民や庇護申請者を救出するための「緊急トランジット・メカニズム(ETM)」の設立にかかる覚書が、アフリカ連合(AU)、UNHCR、そしてルワンダ政府の3者間で交わされました。これは、2017年11月にルワンダのカガメ大統領が行った提案を受けて実現した取り組みです(注4)。

2021年4月時点で、ルワンダはETMを通して約515人の難民を受け入れ、そのうち260人以上がカナダやフランス、ノルウェーなどの第三国に再定住を果たしました(注5)。


ルワンダへのイギリスからの難民移送概要と現状

このようにして、すでに他国で保護された難民の受け入れを実施してきたルワンダですが、2022年4月にルワンダとイギリスとの間で交わされた「移民・経済開発パートナーシップ」は、国際的な議論を巻き起こすこととなりました。

このパートナーシップは、小型船や貨物自動車に隠れるといった危険な方法でイギリスへ不法入国する移民の難民申請をルワンダで請け負うというもので、申請を経て認定を受けた難民には、ルワンダでの再定住支援として最大5年にわたり宿泊施設や医療、訓練の機会が提供されます。イギリス政府はこうした再定住支援や手続きのための資金を提供するほか、ルワンダの経済発展と成長のために1億2,000万ポンド(約200億円)を出資するとされています(注6)。

しかしながら、この合意に対してはイギリス国内からも、国際社会からも多くの懸念が示されました。例えばUNHCRは、このパートナーシップは「確立された国際的な難民保護体制を台無しにする庇護のあり方を提案するもの」であるとして、遺憾の意を表明(注7)。6月にイギリスからルワンダへ最初の移民の移送が予定されていましたが、ヨーロッパ人権裁判所の判断で離陸直前に差し止められ、移送は延期されました(注8)。

その後も、イギリス国内で庇護申請者の代理人を務める慈善団体や弁護士らが法的な異議申し立てを行ったことを受け、2022年9月時点、いまだに司法審査が続いています(注9)。

ルワンダ内戦など難民に関わる歴史と現在の状況

テントの前に立つ難民の家族
テントの前に立つ難民の家族

ルワンダが積極的に難民の受け入れを行っている背景には、ルワンダ自身が過去に多数の難民を生み出してしまったことが関係しているのかもしれません。そこで、次は、ルワンダから他国に避難した難民の数、その原因となったルワンダ内戦について、内戦終結から現在までの状況の変化も含めてお伝えします。

ルワンダ難民と国内避難民の数の推移

次のグラフは、ルワンダから他国へ逃れた難民、そしてルワンダ国内で家を失った国内避難民の数の推移を示したものです(注10)。


先にルワンダが受け入れてきた難民の数を紹介した際、1993年に隣国のブルンジから25万人の難民がルワンダに避難したことに触れました。このグラフを見ると、その翌年の1994年にルワンダからの難民も爆発的に増えていることが見て取れます。

1993年に45万人程度であったルワンダ難民の数は、1994年にはその約5倍にあたる225万人に達しました。しかし、その2年後には急増以前とほぼ同等の規模に戻り、さらに1年後にはデータが公開されている1961年以降で最悪の水準にまで減少しています。

こうした短期間での急激な難民の出入りは、1990年代前半のルワンダ内戦を原因とするものです。ジェノサイドと呼ばれる虐殺が起きたことで知られるこのルワンダ内戦については、次で詳しく解説していきます。

ルワンダ内戦:多数の難民を生んだジェノサイド(虐殺)

ルワンダでは、独立以前から民族間の抗争が続いていましたが、1962年の独立時には、人口において多数派を占めるフツが政権を掌握しました。これを受け、それまで力を持っていたツチの王族や権力者たちは、難民となって近隣国へ逃れていきました。

その後、国内では少数派のツチへの迫害が続いていましたが、独立前後に隣国ウガンダに避難したツチの一団が結成したルワンダ愛国戦線(RPF)が1990年にルワンダへ侵攻したことで、内戦が勃発。1993年8月に和平合意が成立し、国連の停戦監視団が現地に派遣されましたが、翌1994年4月、ルワンダとブルンジの大統領が乗った旅客機が撃墜されて暗殺されるという重大事件が発生します。

これを契機に、ルワンダではフツの過激派がツチやフツ穏健派の虐殺を始め、7月までのわずか100日ほどの間に、実に80万人以上が殺害されたと言われています(注11)。なお、この時のツチ系住民の虐殺は、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)によってジェノサイドであると認定されています(注12 p.2)。このジェノサイドの期間に、多数のツチ族やフツ族が難民となって隣国へ逃れました。これが、先ほどのグラフに表れていた1994年の難民数急増の背景です。

ジェノサイド後のルワンダの状況

1994年7月にRPFがフツ過激派を武力によって打倒し、フツの大統領とツチの副大統領による新政権が樹立されました。政権は、出身部族を明示する身分証明書を廃止するなど、さまざまな施策を打ち出して国民の和解と融和を図りました。2003年の大統領選挙で、それまで副大統領であったカガメが大統領となり、その後も再選を繰り返し、現在も大統領を務めています(注11)。

RPF新政権は治安秩序のために強力な体制を敷き、急速な国家再建と経済成長を実現しました。順調な経済成長によって、ルワンダの2003〜2013年までの10年間、経済成長は平均年率約7.7%にも達し、この急激な発展は「アフリカの奇跡」と呼ばれました(注13 p. 16)。カガメ大統領が汚職対策に力を入れていることもあり、治安が良く、汚職の少ない良好なビジネス環境が実現している点も、近年のルワンダの特徴です(注11)。

このように国家として劇的な経済成長を遂げている反面、一人当たりGDPで見れば、ルワンダはまだまだ貧しいと言わざるを得ません。
一人当たりGDP とは、国内総生産(GDP)を人口で割ったもので、国の平均的な経済的豊かさを示す、広く用いられている尺度です。世界銀行が公開している2021年の一人当たりGDPの各国データを見ると、ルワンダは834米ドル(約12万円、日本円で149.24円:2022年10月19日の通貨レート)であり、データのある181カ国中で下から15番目にあたる167位に位置します(注14のデータから計算)。国民の経済的豊かさという観点で見れば、ルワンダは今も世界最貧困の一角を占めていることになります。

ルワンダの難民や帰還民への日本からの支援

ルワンダで暮らす難民の子どもたち
ルワンダで暮らす難民の子どもたち

このように、過去には内戦下で多数の難民を生み出しながらも、現在は難民の受け入れを積極的に行っているルワンダに対して、日本はどのような支援を行ってきたのでしょうか。ワールド・ビジョン・ジャパンの具体的な支援活動も交えて、日本の過去と現在の支援をご紹介します。

ルワンダから難民が大量流出した時の日本の支援

ルワンダ内戦中に近隣国に多数の難民が流出した際は、コレラや赤痢などのまん延が原因で死者が相次ぐなど、難民たちの置かれた状況は悲惨なものでした。UNHCRの要請を受け、日本は国際平和協力法にもとづく初の人道的国際救援活動を行いました。1994年9〜12月までの間、ルワンダ国境に近い隣国コンゴ民主共和国の都市ゴマなどに自衛隊の部隊を派遣し、医療、防疫、給水、空輸などの分野で救援活動を実施したのです。

医療活動としては、ゴマ市内の病院で、自衛隊の医官が難民キャンプから運ばれてきた患者の診療にあたりました。3カ月程度の活動期間の間に、延べ約2,100人の診療と約70件の手術を実施。防疫活動では、難民キャンプ内のトイレなどの消毒、難民キャンプへのシラミ駆除薬の輸送、排水設備の造成などが実施されました。ほかにも、難民への給水や難民キャンプなどでの道路整備、支援団体の人員や物資の輸送など、幅広い分野で難民への直接的ないし間接的な支援を展開しています(注15)。

ルワンダで暮らす難民や帰還民への日本からの現在の支援

内戦終結後、難民となって他国に避難していた多くのツチ系住民がルワンダに帰還した一方で、フツ系の旧政権からツチ系のRFP新政権に代わったことを受け、旧政権派の要人や市民が新たに難民となって近隣国に逃げ出しました。こうして内戦後に生まれた新たな難民たちは、しばらく隣国コンゴ民主共和国などの難民キャンプで避難生活を送った後、同国での内戦勃発を契機として、1996年末以降にルワンダへ帰還しはじめます(注16 p. 255-257)。

こうした帰還民の一部は帰還民居住地で暮らしており、日本は居住地での帰還民支援も行っています。2011年度の補正予算を使った支援事業では、帰還民用の住居建設や生計を立てるための家畜の提供、水道や給水施設の整備などを実施しました(注17)。
また、上で紹介したように、ルワンダでは現在もコンゴ民主共和国やブルンジ出身の12万人以上の難民が暮らしているのが実情です。日本政府は、国連児童基金(UNICEF)などをとおして、こうした難民のための支援も続けています(注18)。

ワールド・ビジョン・ジャパンのルワンダでの活動

ワールド・ビジョン・ジャパンは、チャイルド・スポンサーシップを通してルワンダの貧困地域への支援を続けています。ルワンダでは現在、慢性的な栄養不良の子どもが多い、あるいは基礎的な読み書きができない子どもが多いなどの課題を抱える3つの地域を対象に、支援を展開しています。

2009年から活動を継続しているルワンダ東部のグウィザ地域は、ジェノサイドで最も深刻な打撃を受けた地域のひとつです。約30年を経た今でも、この悲劇の傷跡は人々の中に深く残されています。この地域において、ワールド・ビジョンは、養蜂グループの形成と技術研修、特にぜい弱な世帯への家畜の提供、貯蓄グループの普及などの生計向上支援のほか、保健衛生や教育分野など幅広い分野での支援活動を行っています。

若くして夫を亡くし、2人の娘を抱えて極貧の生活をしていたある女性は、ワールド・ビジョンの支援によって、雨漏りのしない家と乳牛1頭を手にしました。支援を受けて生活が改善したというこの女性は、支援によって「どん底の状態から救い出され、自尊心と希望を持って生きることができるようになりました」と語ってくれました。


チャイルド・スポンサーシップにご協力をお願いします

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チャイルド・スポンサーシップは、月々4,500円、1日あたり150円の継続支援です。
チャイルド・スポンサーになっていただいた方には、支援地域に住む子ども、"チャイルド"をご紹介します。支援金はチャイルドやその家族に直接手渡されるものではなく、子どもの人生に変化をもたらすことを目指したさまざまな長期の支援活動に使われます。

チャイルドは、皆さまと1対1の関係を育み、支えられていく存在です。支援地域がどのように発展し、チャイルドがそこでどのように成長しているかという支援の成果を、毎年お送りする「プログラム近況報告」と、チャイルドの「成長報告」を通じて実感していただけます。

子どもたちが皆等しく健康で安全な環境で育ち、教育の機会を得て未来に夢を描けるように、チャイルド・スポンサーシップへのご協力をお願いいたします。

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参考資料

注1 UNHCR:Refugee Data Finder ルワンダの難民受け入れ数の推移外部リンク
注2 UNHCR:Refugee Data Finder 1993年のルワンダの受け入れ難民の国別内訳外部リンク
注3 UNHCR:Refugee Data Finder コンゴ民主共和国とブルンジからの難民数の推移外部リンク
注4 アフリカ連合:AU, Government of Rwanda and UNHCR in joint rescue of asylum seekers and refugees in Libya外部リンク 
注5 UNHCR駐日事務所:ルワンダで難民の命を守り、未来につなげるメカニズムを実施外部リンク
注6 JETRO:英政府、難民申請者のルワンダ移送計画を発表外部リンク
注7 UNHCR:UK Migration and Economic Development Partnership with Rwanda外部リンク
注8 NHK:イギリス政府「不法移民」のルワンダへの移送 直前に延期外部リンク
注9 BBC:What is the UK's plan to send asylum seekers to Rwanda and how many could go?外部リンク
注10  UNHCR:Refugee Data Finder ルワンダ難民と国内避難民の数の推移外部リンク
注11 外務省:ルワンダ共和国 基礎データ外部リンク
注12 国連ジェノサイド予防特別顧問室:GN1 When to refer to a situation as genocide外部リンク
注13 木村 宏恒 「ルワンダの開発と政府の役割-- 開発ガバナンスと民主的ガバナンスの相剋--」 『GSIDディスカッションペーパー』,2016年,200号pdfアイコン
注14 世界銀行:DataBank World Development Indicators - GDP per capita (current US$)外部リンク
注15 内閣府:ルワンダ難民救援国際平和協力業務(1994(平成6)年)外部リンク
注16 日本貿易振興機構アジア経済研究所:難民帰還と土地問題 -- 内戦後ルワンダの農村変容外部リンク
注17 在ルワンダ日本国大使館:小川大使の難民キャンプ等の視察(2014年3月6日,7日)外部リンク
注18 UNICEF:ルワンダ 日本政府による支援事業外部リンク

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