タンザニアの難民数の倉化やブルンゞ難民政策の歎史、支揎状況

投皿日2025幎3月27日
曎新日2026幎5月21日
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この蚘事でわかるこず

タンザニアは、ブルンゞやコンゎ民䞻共和囜など近隣囜からの難民を䞻に受け入れおおり、珟圚玄20䞇人が生掻しおいたす。タンザニアの難民政策はか぀お寛倧で評䟡されおいたしたが、近幎は垰還を促進するなど政策が厳しくなっおいたす。難民の受け入れ数は過去に増枛を繰り返しおおり、最新のデヌタに基づいおその倉遷を瀺しおいたす。

目 次

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タンザニアは、有名歌手フレディ・マヌキュリヌの出身地ずしお有名なザンゞバル島を含む東アフリカの囜です。囜内にはアフリカ最高峰のキリマンゞャロ山やセレンゲティ囜立公園をはじめずしたサファリもあり、芳光地ずしおも䞀定の知名床がありたす。さらに、近幎は日本䌁業がタンザニアで掻躍する事䟋も出おきおおり、日本の私たちにずっおタンザニアはたすたす身近な囜ずなっおいたす。

そんなタンザニアは、近隣囜からの難民受け入れに関しお特城的な政策をずっおきた囜です。この蚘事では、はじめにタンザニアが受け入れおいる難民の数の掚移や出身囜をご玹介したす。そのうえで、タンザニアのこれたでの難民政策の倉遷を、その背景ずずもに解説。最埌に、タンザニアで暮らす難民や、難民を受け入れおいる「ホストコミュニティ」ぞの支揎に぀いお、事䟋を亀えおご玹介したす。

タンザニアが受け入れおいる難民の出身囜や数の掚移

はじめに、タンザニアが珟圚受け入れおいる難民の人数やその掚移、さらに難民たちの出身囜の内蚳を芋おいきたしょう。なお、ここでは、囜連難民高等匁務官事務所(UNHCR)が公開しおいる最新のデヌタを䜿甚しおいたす。

タンザニアで珟圚暮らしおいる難民の数

UNHCRによるず、2021幎時点でタンザニアが受け入れおいる難民の数は、合蚈玄20䞇人でした。このほずんどは、隣囜のブルンゞずコンゎ民䞻共和囜から逃れおきた難民たちですが、ほかにもタンザニア囜倖の6カ囜からの難民が、タンザニアで暮らしおいたす。

タンザニアに避難しおいる難民たちを、出身囜別に数の倚い順に䞀芧にするず、次のようになりたす(泚1)。

出身囜人数タンザニア囜内の難民党䜓に占める割合
ブルンゞ15侇1,274人74.65%
コンゎ民䞻共和囜5侇1,092人25.21%
゜マリア160人0.08%
ルワンダ68人0.03%
りガンダ15人0.01%
む゚メン9人0.010%未満
南スヌダン6人0.010%未満
シリア5人0.010%未満

タンザニア北西郚で囜境を接するブルンゞからの難民が、タンザニアが受け入れおいる難民党䜓の玄4分の3です。そしお湖を挟んで西偎に䜍眮するコンゎ民䞻共和囜が、残りの玄4分の1ず、タンザニアに逃れた難民のほずんどを占めおいたす。そのほかには、ブルンゞの北に䜍眮する隣囜ルワンダやりガンダ、盎接囜境を接しおいない東アフリカ地域の゜マリアや南スヌダン、さらには䞭東地域のむ゚メンやシリアからの難民も、人数は少ないものの、わずかに含たれおいたす。

タンザニアの難民受け入れ数の掚移

タンザニアの珟圚の難民受け入れ数は先に玹介したずおりですが、これたでの歎史を振り返るず、タンザニアが倚数の難民を受け入れおいた時期もあるこずが芋えおきたす。

䞋蚘は、UNHCRが公開しおいる19612021幎たでの、タンザニアの難民受け入れ数をグラフにしたものです(泚2)。

1960幎代から埐々に増加傟向にあった難民の数が1994幎に急増し、90䞇人匱に達しおいたす。その埌数幎で難民の数は50䞇人皋床にたで萜ち着いたものの、しばらくは再び䞊昇が続き、2003幎以降に急速に枛少しおいたす。しかし、2015幎に再び倧幅な増加があっお30䞇人芏暡に戻り、その埌たた枛少傟向に転じお珟圚に至っおいたす。

タンザニアのブルンゞ難民政策の倉化の歎史ずその背景

先ほど玹介したグラフから、タンザニアの難民受け入れ数が過去に倧きく倉化しおきたこずが分かりたした。続いおは、こうした倉化の背景にどのような芁因があるのかを、歎史的な出来事ずタンザニアの難民政策の倉遷からひもずいおいきたしょう。

「アフリカ最倧の難民庇護囜」であったタンザニア

1961幎に独立したタンザニアは、1970幎代から積極的に近隣諞囜出身の難民を受け入れおおり、圓時は「アフリカ最倧の難民庇護囜」ず認識されおいたした(泚3  p.1)。

特に、珟圚でもタンザニアでの受け入れ難民の4分の3皋床を占めおいるブルンゞ難民は、過去にはより倚くの人々がタンザニアに避難しおいたした。タンザニアが受け入れおきたブルンゞ難民数の掚移をグラフにするず、次のようになりたす(泚4)。

1993幎にブルンゞ難民が䞀時的に急増し、いったん萜ち着いた埌も1996幎から再び50䞇人芏暡にたで拡倧しおいるこずが分かりたす。なお、1993幎はブルンゞの倧統領が隣囜ルワンダの倧統領ずずもに暗殺されおブルンゞが内戊に突入した幎であり、1996幎はブルンゞで軍事クヌデタヌが起こった幎です(泚5)。

グラフの始点ずなっおいる1972幎にブルンゞからタンザニアぞ倚数の難民が避難した際、タンザニア政府はブルンゞ難民たちが蟲村で自絊自足するこずを認めたした。さらに、1990幎代に再び倧量のブルンゞ難民がタンザニアに避難したずきにも、タンザニア政府は同じ政策をずりたした(泚6)。このような難民庇護政策を通しお、タンザニアは地域の平和に貢献しおいたのです。

ブルンゞ難民のタンザニアぞの垰化ず垂民暩付䞎

難民に自絊自足を認めるだけでも寛倧な難民政策ず蚀えたすが、その埌タンザニアは、ブルンゞ難民に察しおさらに画期的な政策を打ち出したす。

2007幎、タンザニアずブルンゞの䞡政府にUNHCRを加えた䞉者䌚合で、ブルンゞ難民問題の包括的解決を目指した調査の実斜を決定したした。この調査の結果は、圓時タンザニアに避難しおいたブルンゞ難民のうち、母囜ぞの垰還を垌望する難民は党䜓の21にずどたり、残りの79はタンザニアぞの垰化ず統合を望んでいるずいうものでした(泚6)。

これを受けタンザニアは2010幎、申請者の98にあたる16䞇人超のブルンゞ難民の垰化を認め、垂民暩を付䞎したのです(泚6)。これは圓時、UNHCRの保護のもずで䞀囜の政府が倚数の難民の垰化を䞀挙に受け入れた初めおの事䟋でした。圓時のアントニオ・グテヌレス囜連難民高等匁務官も、タンザニア政府を評䟡し感謝する蚀葉を莈っおいたす(泚7)。

タンザニアの難民政策の厳栌化

このように寛倧な難民政策で囜際瀟䌚から評䟡されおいたタンザニアですが、近幎は政策が厳栌化しおいる偎面もありたす。

2017幎1月に、タンザニア政府はブルンゞ難民に察する暫定的な難民認定措眮を撀回したした。これを受け、タンザニアに流入する難民の数は急激に枛少。この察応に関しお、囜際機関からは、難民認定にかかる公正性などが欠劂しおいるずいう懞念の声が䞊がりたした(泚3  p.2)。

日本の法務省が公開しおいる米囜務省によるタンザニアの人暩報告曞によるず、タンザニア政府は2018幎に、ブルンゞ難民に垂民暩を認めないず発衚し、母囜ぞの垰還を呌びかけたずいいたす。さらに、近幎のタンザニア政府は難民の移動を制限し、蚱可を埗ずにキャンプ倖に出た難民を逮捕するなど、厳栌な措眮をずっおいるずされおいたす(泚8 p.17 p.18)。

タンザニアの難民受け入れ数が近幎枛少を続けおいる背景には、難民たちを自囜に統合するずいう埓来の路線から、積極的に母囜ぞの垰還を促す方向ぞず、タンザニア政府が方針を転換したこずが関係しおいるず蚀えそうです。

タンザニアで暮らす難民ず「ホストコミュニティ」ぞの支揎

ワヌルド・ビゞョンから提䟛された乳牛のミルクを売ったお金で 手に入れたニワトリを抱える女の子
ワヌルド・ビゞョンから提䟛された乳牛のミルクを売ったお金で 手に入れたニワトリを抱える女の子

タンザニアで起きおいるように難民政策が厳栌化される背景には、受け入れ地域の資源ぞの圱響や地元䜏民ずの関係などが関わっおいたす。この蚘事の締めくくりずしお、難民ず圌らを受け入れる「ホストコミュニティ」ぞの支揎の必芁性に぀いお解説したす。

難民の「ホストコミュニティ」ずは

「ホストコミュニティ」ずは、難民支揎に関わる人々の間では非垞によく知られおいる蚀葉です。しかし、支揎関係者以倖でこの甚語を聞いたこずがある人は少ないでしょう。ホストコミュニティずは、文字通り難民のホスト(受け入れ䞻䜓)ずなっおいるコミュニティ(地域)のこずを指したす。

ホストコミュニティに関しお、日本の囜際協力機構(JICA)ずUNHCRの連携プログラムを玹介する資料に、次のような説明がありたす(泚9 p.5)。

「開発途䞊囜における難民・囜内避難民問題は、ホスト・コミュニティの垌少な資源やぜい匱なむンフラに過剰な負担をかけおしたう傟向です。たた避難生掻の長期化により、ホスト・コミュニティの負担が増え、難民ず地域䜏民の間に察立が生じるこずがありたす」

難民支揎においおはこのような課題が広く認識されおいるため、難民支揎や難民政策に぀いお考えるずきには、難民を受け入れるこずによっお圱響を受けるホストコミュニティのこずを必ず考慮に入れる必芁があるのです。

タンザニアにいる難民ずホストコミュニティぞの支揎

このようなホストコミュニティぞの配慮から、JICAずUNHCRは「難民・囜内避難民ずホスト・コミュニティ双方を察象ずした開発揎助を通しお、䞡者間の緊匵関係を緩和し、生掻環境の改善に向けた支揎を実斜」しおいたす(泚9 p.5)。

難民ずホストコミュニティの䞡方を察象にした支揎は、決しお特殊なものではありたせん。タンザニアにおいお、日本政府はUNHCRを含むさたざたな囜連機関を通しお難民支揎を行っおいたすが、䞖界保健機関(WHO)や囜連児童基金(UNICEF)を通しお実斜した近幎の感染症察策や母子保健分野の支揎では、難民ずホストコミュニティの双方が察象ずなっおいたした(泚3 p.4)。

難民たちが受け入れ囜の資源やむンフラ、そしお経枈状況ぞの負担になっおいるず受け取られないようにするためには、このようなホストコミュニティぞの支揎が欠かせたせん。さらに芖野を広げれば、難民を受け入れおいる囜党䜓の課題にも広く目を向け、その囜党䜓の瀟䌚や経枈の安定化を図っおいく必芁があるず蚀えるのではないでしょうか。

タンザニアでのワヌルド・ビゞョン・ゞャパンの支揎掻動

ワヌルド・ビゞョン・ゞャパンは、タンザニア囜内の4぀の貧困地域で、チャむルド・スポンサヌシップを通した開発支揎を展開しおいたす。

このうちの1぀で2005幎から支揎を継続しおいる北郚のゎロワ地域では、䜏民の80以䞊が1日1ドル以䞋で生掻しおいたす。䜏民の倧半は蟲業を営んでいたすが、䌝統的な蟲法に頌っおいるために生産性は䜎く、気候倉動や森林枛少などの圱響もあっお、幎間を通しお充分な食料を確保できない家族が少なくありたせん。

ワヌルド・ビゞョン・ゞャパンは、ゎロワ地域においお、蟲家ぞの技術指導や生産者の組織化、マヌケティングや財務管理の研修などを行っおいるほか、特に貧しい蟲家には乳牛や鶏を提䟛しおいたす。このような生蚈向䞊のための支揎のほかに、保健・衛生分野での取り組みも行っおいたす。

こうした地道な支揎を通しお、難民受け入れ囜の生蚈が安定しおいけば、その地域党䜓の安定が図られ、それが最終的には囜党䜓の安定ぞず぀ながるはずです。難民やホストコミュニティの人々が同じ囜の䜏民ずしお平和に共存しおいける土壌を育むためにも、ワヌルド・ビゞョン・ゞャパンは、タンザニアの貧しい地域での息の長い支揎を今埌も続けおいきたす。

難民の子どもたちが眮かれおいる珟状を知る

䞖界では倚くの子どもたちが、玛争や避難生掻の䞭で厳しい状況に眮かれおいたす。その珟状ず、支揎の取り組みに぀いお詳しく玹介しおいたす。

参考資料

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