“許される限り長くシリアに関わっていきたい” -駐在スタッフが見つめたシリア支援10年の道のり<後編>

投稿日|2025年9月18日
執筆者:渡邉 裕子
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ヨルダンに10年駐在し、隣国からシリア支援に従事してきた渡邉裕子スタッフにじっくりとその思いや経験を聞いたインタビュー前編では、ヨルダンでの教育支援事業や、シリア国内での支援の立ち上げ、その中で起きた未曽有の大地震の状況などをお伝えしました。後編では、昨年末の政権崩壊を経て新たな局面を迎えたシリアで、人々が未来を模索する姿や、渡邉スタッフのシリア支援に込める今の思いをお届けします。今回のブログは、インタビュー形式でお届けします。(取材・構成 飯野真理子)
—前編はこちら

歴史の転換点に立つシリアにこれからも関わり続ける

—2024年12月8日、長年独裁を続けてきた前政権が崩壊するという歴史の転換が起こりました。

政権が崩壊する前は空爆がひどくなってきていました。11月27日に戦闘が始まって、一時期スタッフはいったん仕事をストップして、学校も休校になって、身の安全を守ることを第一に避難していたような状態でした。そこから、一日一日、前線が事業地から離れて、静かになっていき、安全地帯が増えているということを報告するスタッフがいて、だんだん攻撃が遠くなっていくということで、政権の崩壊を感じとっていたのではないかと思います。

政権が崩壊してからは、本当にお祭りさわぎみたいでした。10年以上会っていない兄弟や親戚と再会できて、兄弟に子どもがいっぱい増えていたとか、もちろんつらいこともあったと思うんですけど、そうした明るい話をスタッフがしてくれるようになりました。直後は新しい希望に向かっていくようでした。

シリア国内避難民キャンプにある子どもたちのセンター 政権崩壊後も活動が続く
シリア国内避難民キャンプにある子どもたちのセンター 政権崩壊後も活動が続く

—そこから半年以上がたちました。今のシリアの状況にどんなことを感じていますか。

現実が少しずつわかってきているところだと思いますが、現地は本当に廃墟の状態で、帰還どころではありません。私たちが支援している学校の中でも、12月に国内避難民の先生方が一度故郷に帰ったのですが、全員戻ってきました。家を見に行ったものの、住める状態ではなかったそうです。

シリアの復興には、紛争が続いた14年以上の時間が必要とされる
シリアの復興には、紛争が続いた14年以上の時間が必要とされる

アフガニスタンにいた時の経験もあり、2001年にタリバン政権が崩壊し、暫定政府が発足した際、みんなが楽観視していたのですが、タリバンは再び政権を掌握し、アフガニスタンは元の状態に戻ってしまいました。私も2005年にアフガニスタンを離れ、その時はこのまま状況は良くなるものだと思っていました。自分への戒めも含めて、やはりシリアに長く関わった方がいいと感じています。10年前から、その思いはありました。復興に携わりたいという思いは強く、許される限りはシリアに関わっていきたいです。外国人スタッフは1、2年で別の国に移ることが多いため、ヨルダン人の同僚から「あなたまだここにいるの?」と驚かれることもあります。現場のスタッフは、「国際スタッフはどうせまたすぐにいなくなる」と思われていると思うので、私みたいに一人くらいずっとシリアに関わり続けている人がいてもいいのではないかと思っています。

長く関わりたいという思いは、シリアの同僚や東京の事務所にもお話をしているので、その思いを汲んでもらっている状況です。できればシリア国内に入って活動したいですが、無理なら周辺国からになります。それでもシリア支援にずっと携わっていきたいです。日本から支援したいと思っている人たちがたくさんいることも、シリア人の同僚たちに伝えるようにしています。

シリア人の同僚たちとの会議風景(トルコにて)
シリア人の同僚たちとの会議風景(トルコにて)

シリア人同僚の二人は難民としてトルコに行き、普段はトルコから事業に携わっているのですが、ほかのスタッフはシリア国内にいます。前政権が崩壊してから、3月にトルコにいた二人のスタッフが初めてシリアに行って、国内の活動に加わり、現地の同僚と食事をしたんですね。その時の写真を同僚のプロジェクトマネージャーが送ってくれて、皆が一堂に会している姿を見るのは私もすごく嬉しかったです。やはり、生身の人間として、同じプロジェクトのために違う場所から働いている同胞に会えたのは嬉しかったと思います。私も早くシリアに行って皆に会いたいですし、いろんなスタッフから、「シリアに来たら、ぜひうちに来い」なんて言ってもらっています。シリア国内で、行かなければいけない場所がたくさん増えました。

シリア国内で集まった同僚たちから送られてきた写真
シリア国内で集まった同僚たちから送られてきた写真

シリア人同僚たちと共に願う未来

—新たな未来に向けて歩み始めたシリアは、これまで以上に国際的支援の重要性が指摘されています。共に活動する現地のスタッフと心がつながったと感じる時はどんな時ですか?

ドナーが勧める支援と、現場で必要と感じている支援と若干の乖離があると感じることがあります。もちろん、なるべく現場をおもんばかりながらプロジェクトを作っていきたいと心がけていますが、お互いに「これが必要だ」と支援や活動内容が一致した時は、心がつながったと感じます。

たとえば、ワールド・ビジョン・ジャパンは、シリア北西部で学校修復を大規模な支援として最初に始めました。それまでは、国連やNGOは先生の給料の支援など、学校運営のための財政的な支援が中心でした。それも大切なことですが、「大々的な学校修復が必要ではないか」という話をしたところ、現場の教育担当スタッフから、「ぜひそれをやってほしい」と言われました。現場のニーズと私たちが支援したいことが一致した時は、やはり良かったなと思いますし、現場のモチベーションになるのも感じます。心を一致させて支援を一緒にできるということを、私は信じています。

シリア北西部での学校建設の様子
シリア北西部での学校建設の様子

—現地スタッフから言われて忘れられない言葉はありますか?

難しい言葉ではなく、「ありがとう」と言ってくれることでしょうか。ヨルダンで業務で急に同僚の家の近くに行くことになった時、同僚が「ぜひ実家に寄ってほしい」と言ってくれ、短い時間でたくさんのお料理を準備してくれました。ワールド・ビジョンがこの地域で支援していること、また急な招きに応えて立ち寄ったことに、ご家族からも感謝の思いを伝えられました。家族総出で料理をしてくれたみたいで、その優しさに触れ、心が温かくなりました。

アラビア語の「インシャッラー」は、「神が望めば」、「きっと」、「たぶん」、などの意味でよく使われる言葉ですが、仕事を早くやってほしい時などにその言葉が返ってきたときは、ついイラッとすることもあるけれど、だんだんその言葉通りに受け止められるようになりました。アフガニスタンでのことですが、「また会おうね」と伝えたら、「インシャッラー」と返され、その後、戦闘があったり、その人が亡くなったりして、会えなかったことがありました。そうした現実から、「インシャッラー」の意味をより深く実感しました。

—この10年という月日の中で、子どもたちも成長してきたのではないでしょうか。

ヨルダンでは、年を追うごとにヨルダンで育った子どもたちが増え、シリアの記憶がない子も少なくありません。そうした子どもや親御さんも、ヨルダンに対してあまりネガティブな感情はなく、いじめなども減り、社会に溶け込んでいっている、そんな変化を感じます。

子どもたちの成長はとてもうれしいことですが、一方でやるせないのは、私たちの補習授業が12〜13歳、つまり6年生までしか財源がなく、その上の年齢の子どもたちへの支援ができなかったことです。13歳ごろから児童労働や児童婚が増えてくる状況があり、この年代こそ新たなアプローチが必要だと思うのですが、なかなか対応できていません。子ども自身も「この先も補習授業を受けたい」と言ってくれる子がいる中、支援が薄くなることは、子どもや親御さんにとってやはり不安だと思います。

学校の休み時間に笑顔を見せてくれるシリアの子どもたち
学校の休み時間に笑顔を見せてくれるシリアの子どもたち

2024年から2025年にかけてのシリア国内の学校支援プロジェクトは、そうした背景もあり、中学校などセカンダリースクールを対象にしています。教育局からも「NGOの多くは小学校は支援してくれるけれど、セカンダリーは支援が減ってしまう」という声があり、そこのギャップを埋めることができるよう支援しています。現場から送られてくる写真を見ると、あどけない子どもではなく、大人びて見える子もいますが、皆、支援を必要としています。退学する子どもも多い中、退学を阻止するために何か力になれたらと願っています。

シリアは復興の途上にあり、親や学校の先生も「子どもたちに将来、社会に貢献する人になってほしい」と期待を寄せています。少しでも支援を受けて学んだことを、子どもたちがシリアの未来に生かしてくれたら、うれしいなと思います。

—いま願うこと、伝えたいことは何ですか?

シリアの方たちは、喜怒哀楽など、私たちと変わらない感情を持っていますし、家族を大切にしています。シリア人はチームワークがうまいと私は思うんですけども、みんなが一つの目標に向かって、抱いている未来に向かっていく意識が高いように見えます。いま同僚たちから感じ取れるのは、団結してやっていこうとする気持ちです。 

世界では今も多くの紛争が起きています。サーミルというシリア人の同僚が、「シリアがニュースの見出しから消えたからといって、困難がなくなったわけではない」と言っていたのですが、本当にその通りだと思います。 ニュースに出ている人たちだけではなく、それ以外にも苦しんでる人たちがいることも知っていただきたいです。シリア国内には、様々な勢力があり、内戦が完全に終わったとは言えませんが、私の願いは、治安が後戻りせず、シリアが平和に向かっていくことです。

中野坂上にあるワールド・ビジョン・ジャパンオフィスにて
中野坂上にあるワールド・ビジョン・ジャパンオフィスにて
この記事を書いた人
ヨルダン駐在 プログラム・コーディネーター 渡邉 裕子
ヨルダン駐在 プログラム・コーディネーター 渡邉 裕子
大学卒業後、一般企業に勤務。その後大学院に進学し、修了後はNGOからアフガニスタンの国連児童基金(ユニセフ)への出向、在アフガニスタン日本大使館、国際協力機構(JICA)パキスタン事務所等で勤務。2014年11月にワールド・ビジョン・ジャパン入団。2015年3月からヨルダン駐在。

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