タンザニアの難民|数の変化やブルンジ難民政策の歴史、支援状況
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この記事でわかること
タンザニアは、ブルンジやコンゴ民主共和国など近隣国からの難民を主に受け入れており、現在約20万人が生活しています。タンザニアの難民政策はかつて寛大で評価されていましたが、近年は帰還を促進するなど政策が厳しくなっています。難民の受け入れ数は過去に増減を繰り返しており、最新のデータに基づいてその変遷を示しています。
タンザニアは、有名歌手フレディ・マーキュリーの出身地として有名なザンジバル島を含む東アフリカの国です。国内にはアフリカ最高峰のキリマンジャロ山やセレンゲティ国立公園をはじめとしたサファリもあり、観光地としても一定の知名度があります。さらに、近年は日本企業がタンザニアで活躍する事例も出てきており、日本の私たちにとってタンザニアはますます身近な国となっています。
そんなタンザニアは、近隣国からの難民受け入れに関して特徴的な政策をとってきた国です。この記事では、はじめにタンザニアが受け入れている難民の数の推移や出身国をご紹介します。そのうえで、タンザニアのこれまでの難民政策の変遷を、その背景とともに解説。最後に、タンザニアで暮らす難民や、難民を受け入れている「ホストコミュニティ」への支援について、事例を交えてご紹介します。
タンザニアが受け入れている難民の出身国や数の推移
はじめに、タンザニアが現在受け入れている難民の人数やその推移、さらに難民たちの出身国の内訳を見ていきましょう。なお、ここでは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が公開している最新のデータを使用しています。
タンザニアで現在暮らしている難民の数
UNHCRによると、2021年時点でタンザニアが受け入れている難民の数は、合計約20万人でした。このほとんどは、隣国のブルンジとコンゴ民主共和国から逃れてきた難民たちですが、ほかにもタンザニア国外の6カ国からの難民が、タンザニアで暮らしています。
タンザニアに避難している難民たちを、出身国別に数の多い順に一覧にすると、次のようになります(注1)。
出身国 | 人数 | タンザニア国内の難民全体に占める割合 |
---|---|---|
ブルンジ | 15万1,274人 | 74.65% |
コンゴ民主共和国 | 5万1,092人 | 25.21% |
ソマリア | 160人 | 0.08% |
ルワンダ | 68人 | 0.03% |
ウガンダ | 15人 | 0.01% |
イエメン | 9人 | 0.010%未満 |
南スーダン | 6人 | 0.010%未満 |
シリア | 5人 | 0.010%未満 |
タンザニア北西部で国境を接するブルンジからの難民が、タンザニアが受け入れている難民全体の約4分の3です。そして湖を挟んで西側に位置するコンゴ民主共和国が、残りの約4分の1と、タンザニアに逃れた難民のほとんどを占めています。そのほかには、ブルンジの北に位置する隣国ルワンダやウガンダ、直接国境を接していない東アフリカ地域のソマリアや南スーダン、さらには中東地域のイエメンやシリアからの難民も、人数は少ないものの、わずかに含まれています。
タンザニアの難民受け入れ数の推移
タンザニアの現在の難民受け入れ数は先に紹介したとおりですが、これまでの歴史を振り返ると、タンザニアが多数の難民を受け入れていた時期もあることが見えてきます。
下記は、UNHCRが公開している1961~2021年までの、タンザニアの難民受け入れ数をグラフにしたものです(注2)。
1960年代から徐々に増加傾向にあった難民の数が1994年に急増し、90万人弱に達しています。その後数年で難民の数は50万人程度にまで落ち着いたものの、しばらくは再び上昇が続き、2003年以降に急速に減少しています。しかし、2015年に再び大幅な増加があって30万人規模に戻り、その後また減少傾向に転じて現在に至っています。
タンザニアのブルンジ難民政策の変化の歴史とその背景
先ほど紹介したグラフから、タンザニアの難民受け入れ数が過去に大きく変化してきたことが分かりました。続いては、こうした変化の背景にどのような要因があるのかを、歴史的な出来事とタンザニアの難民政策の変遷からひもといていきましょう。
「アフリカ最大の難民庇護国」であったタンザニア
1961年に独立したタンザニアは、1970年代から積極的に近隣諸国出身の難民を受け入れており、当時は「アフリカ最大の難民庇護国」と認識されていました(注3 p.1)。
特に、現在でもタンザニアでの受け入れ難民の4分の3程度を占めているブルンジ難民は、過去にはより多くの人々がタンザニアに避難していました。タンザニアが受け入れてきたブルンジ難民数の推移をグラフにすると、次のようになります(注4)。
1993年にブルンジ難民が一時的に急増し、いったん落ち着いた後も1996年から再び50万人規模にまで拡大していることが分かります。なお、1993年はブルンジの大統領が隣国ルワンダの大統領とともに暗殺されてブルンジが内戦に突入した年であり、1996年はブルンジで軍事クーデターが起こった年です(注5)。
グラフの始点となっている1972年にブルンジからタンザニアへ多数の難民が避難した際、タンザニア政府はブルンジ難民たちが農村で自給自足することを認めました。さらに、1990年代に再び大量のブルンジ難民がタンザニアに避難したときにも、タンザニア政府は同じ政策をとりました(注6)。このような難民庇護政策を通して、タンザニアは地域の平和に貢献していたのです。
ブルンジ難民のタンザニアへの帰化と市民権付与
難民に自給自足を認めるだけでも寛大な難民政策と言えますが、その後タンザニアは、ブルンジ難民に対してさらに画期的な政策を打ち出します。
2007年、タンザニアとブルンジの両政府にUNHCRを加えた三者会合で、ブルンジ難民問題の包括的解決を目指した調査の実施を決定しました。この調査の結果は、当時タンザニアに避難していたブルンジ難民のうち、母国への帰還を希望する難民は全体の21%にとどまり、残りの79%はタンザニアへの帰化と統合を望んでいるというものでした(注6)。
これを受けタンザニアは2010年、申請者の98%にあたる16万人超のブルンジ難民の帰化を認め、市民権を付与したのです(注6)。これは当時、UNHCRの保護のもとで一国の政府が多数の難民の帰化を一挙に受け入れた初めての事例でした。当時のアントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官も、タンザニア政府を評価し感謝する言葉を贈っています(注7)。
タンザニアの難民政策の厳格化
このように寛大な難民政策で国際社会から評価されていたタンザニアですが、近年は政策が厳格化している側面もあります。
2017年1月に、タンザニア政府はブルンジ難民に対する暫定的な難民認定措置を撤回しました。これを受け、タンザニアに流入する難民の数は急激に減少。この対応に関して、国際機関からは、難民認定にかかる公正性などが欠如しているという懸念の声が上がりました(注3 p.2)。
日本の法務省が公開している米国務省によるタンザニアの人権報告書によると、タンザニア政府は2018年に、ブルンジ難民に市民権を認めないと発表し、母国への帰還を呼びかけたといいます。さらに、近年のタンザニア政府は難民の移動を制限し、許可を得ずにキャンプ外に出た難民を逮捕するなど、厳格な措置をとっているとされています(注8 p.17 p.18)。
タンザニアの難民受け入れ数が近年減少を続けている背景には、難民たちを自国に統合するという従来の路線から、積極的に母国への帰還を促す方向へと、タンザニア政府が方針を転換したことが関係していると言えそうです。
タンザニアで暮らす難民と「ホストコミュニティ」への支援

タンザニアで起きているように難民政策が厳格化される背景には、受け入れ地域の資源への影響や地元住民との関係などが関わっています。この記事の締めくくりとして、難民と彼らを受け入れる「ホストコミュニティ」への支援の必要性について解説します。
難民の「ホストコミュニティ」とは
「ホストコミュニティ」とは、難民支援に関わる人々の間では非常によく知られている言葉です。しかし、支援関係者以外でこの用語を聞いたことがある人は少ないでしょう。ホストコミュニティとは、文字通り難民のホスト(受け入れ主体)となっているコミュニティ(地域)のことを指します。
ホストコミュニティに関して、日本の国際協力機構(JICA)とUNHCRの連携プログラムを紹介する資料に、次のような説明があります(注9 p.5)。
「開発途上国における難民・国内避難民問題は、ホスト・コミュニティの希少な資源やぜい弱なインフラに過剰な負担をかけてしまう傾向です。また避難生活の長期化により、ホスト・コミュニティの負担が増え、難民と地域住民の間に対立が生じることがあります」
難民支援においてはこのような課題が広く認識されているため、難民支援や難民政策について考えるときには、難民を受け入れることによって影響を受けるホストコミュニティのことを必ず考慮に入れる必要があるのです。
タンザニアにいる難民とホストコミュニティへの支援
このようなホストコミュニティへの配慮から、JICAとUNHCRは「難民・国内避難民とホスト・コミュニティ双方を対象とした開発援助を通して、両者間の緊張関係を緩和し、生活環境の改善に向けた支援を実施」しています(注9 p.5)。
難民とホストコミュニティの両方を対象にした支援は、決して特殊なものではありません。タンザニアにおいて、日本政府はUNHCRを含むさまざまな国連機関を通して難民支援を行っていますが、世界保健機関(WHO)や国連児童基金(UNICEF)を通して実施した近年の感染症対策や母子保健分野の支援では、難民とホストコミュニティの双方が対象となっていました(注3 p.4)。
難民たちが受け入れ国の資源やインフラ、そして経済状況への負担になっていると受け取られないようにするためには、このようなホストコミュニティへの支援が欠かせません。さらに視野を広げれば、難民を受け入れている国全体の課題にも広く目を向け、その国全体の社会や経済の安定化を図っていく必要があると言えるのではないでしょうか。
タンザニアでのワールド・ビジョン・ジャパンの支援活動
ワールド・ビジョン・ジャパンは、タンザニア国内の4つの貧困地域で、チャイルド・スポンサーシップを通した開発支援を展開しています。
このうちの1つで2005年から支援を継続している北部のゴロワ地域では、住民の80%以上が1日1ドル以下で生活しています。住民の大半は農業を営んでいますが、伝統的な農法に頼っているために生産性は低く、気候変動や森林減少などの影響もあって、年間を通して充分な食料を確保できない家族が少なくありません。
ワールド・ビジョン・ジャパンは、ゴロワ地域において、農家への技術指導や生産者の組織化、マーケティングや財務管理の研修などを行っているほか、特に貧しい農家には乳牛や鶏を提供しています。このような生計向上のための支援のほかに、保健・衛生分野での取り組みも行っています。
こうした地道な支援を通して、難民受け入れ国の生計が安定していけば、その地域全体の安定が図られ、それが最終的には国全体の安定へとつながるはずです。難民やホストコミュニティの人々が同じ国の住民として平和に共存していける土壌を育むためにも、ワールド・ビジョン・ジャパンは、タンザニアの貧しい地域での息の長い支援を今後も続けていきます。
ワールド・ビジョンの支援にご協力をお願いします
タンザニアのゴロワ地域でのワールド・ビジョンの支援活動は、チャイルド・スポンサーシップを通した寄付で成り立っています。チャイルド・スポンサーシップは、月々4,500円、1日あたり150円の継続支援です。
チャイルド・スポンサーになっていただいた方には、支援地域に住む子ども、”チャイルド”をご紹介します。支援金はチャイルドやその家族に直接手渡されるのではなく、対象地域に暮らす子どもの人生に変化をもたらすことを目指した、さまざまな長期の支援活動に使われます。
チャイルドは、皆さまと1 対1の関係を育み、支えられていく存在です。支援地域がどのように発展し、チャイルドがそこでどのように成長しているかという支援の成果を、毎年お送りする「プログラム近況報告」と、チャイルドの「成長報告」を通じて実感していただけます。
子どもたちが皆等しく健康で安全な環境で育ち、平和で安定した社会で思い思いの夢を描きながら成長できるように、チャイルド・スポンサーシップへのご協力をお願いいたします。
ワールド・ビジョンの活動にご関心を持っていただけた方は、ぜひメールマガジンに登録ください。月に1回、お届けします。
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