スリランカ難民|数の推移や受け入れ国、内戦や日本との関係を解説
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この記事でわかること
スリランカ難民は、内戦や民族対立により国外に避難しており、主にインドやフランスが受け入れ国です。国内避難民数も減少したものの、難民数は依然として高い状態です。日本は54人を受け入れており、スリランカの困難な状況に対する支援が求められています。
世界には、さまざまな理由で祖国を追われ難民となる人々がいます。内戦状態にある国や自然災害に襲われた国だけでなく、現在は平和に見える国であっても、一度避難したきり帰還することができず、国外で難民生活を送っている人々が多数いる場合もあります。そのような国の1つがスリランカです。
この記事では、受け入れ国別のスリランカ難民の数やその推移、そしてスリランカから難民が流出した背景を解説します。日本でのスリランカ難民の受け入れ数を切り口に、スリランカと日本の歴史的な関係や今日の課題についてお伝えします。さらに、スリランカの現在の状況を踏まえ、難民がスリランカに帰還できるようにするためにどのような支援が行われているのかも具体的にご紹介します。
スリランカ難民の受け入れ国と数、難民流出の背景にある内戦

はじめに、現在のスリランカ難民の数と避難先、そしてスリランカ難民の数の推移を、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が公開している最新のデータを使って見ていきましょう。ここでは、スリランカから難民が流出した背景として、スリランカ内戦についても簡潔に解説します。
スリランカ難民の数と受け入れ国
UNHCRによると、2021年半ば時点で1,000人以上のスリランカ難民を受け入れているのは8カ国です。受け入れ人数の多い順に表にまとめると、次のようになります(注1)。
| 受け入れ国 | 受け入れ人数 | 全体に占める割合(%) |
|---|---|---|
| インド | 92,885人 | 65.18% |
| フランス | 23,980人 | 16.83% |
| スイス | 6,069人 | 4.26% |
| イギリス | 5,200人 | 3.65% |
| オーストラリア | 4,072人 | 2.86% |
| ドイツ | 3,617人 | 2.54% |
| カナダ | 2,439人 | 1.71% |
| アメリカ | 1,048人 | 0.74% |
最も多くのスリランカ難民を受け入れているのは隣国のインドで、受け入れ数9万人超はスリランカ難民全体(14万2,512人)の65%以上です。続くフランスも2万人以上のスリランカ難民を受け入れており、この2カ国だけでスリランカ難民全体の約82%を受け入れている計算になります。
表にある8カ国のうち7カ国は欧米を中心とする主要先進国となっていますが、この8カ国の後にはマレーシア、インドネシアなど必ずしも主要先進国ではない、近隣の東南アジアの国々も続きます。日本も54人のスリランカ難民を受け入れており、受け入れ数が多い順で20番目です。
スリランカ難民や国内避難民の数の推移
続いて、スリランカ難民の数の推移を見てみましょう。UNHCRが公開している、1985年以降のスリランカ難民数のデータをグラフにすると次のようになります(注2)。
1990年に突如20万人超に急増した後、1992年には半分近くまで減少していますが、その後は増減を繰り返しながらほぼ横ばいの状態で現在に至っています。直近では2020年に前年と比べて3万人以上増えており、翌2021年時点でもほぼ同数にとどまったままです。
上のグラフにスリランカの国内避難民の数の推移を示すグラフを重ねると、次のようになります(注2)。
国内避難民は難民よりも数年遅れて1995年に20万人規模に達し、その後1998年頃から60万人強にまで爆発的に増加しました。2002年から大きく減少した後、2006年から再び大幅な上昇が見られましたが、2009年以降は減少が続き、2021年には1万人程度にまで規模が縮小しています。
難民流出の背景にあるスリランカ内戦とその遺恨
上で紹介した難民や国内避難民の数の変化には、スリランカ内戦の経過が密接に関係しています。
1815年にイギリスの植民地となったスリランカでは、分割統治政策によって重用された少数派のタミル人が、人口の7割以上を占めるシンハラ人を統治する体制が敷かれました。こうして民族間の確執が募るなか、1948年にイギリスから独立すると、シンハラ人優遇政策を掲げた政党が選挙で圧勝。
これ以降、タミル人とシンハラ人の間で衝突が起きるようになり、タミル人は次々に武装組織を結成しました(注3)。1976年に設立された「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」もその1つです(注4)。
1983年にタミル人がシンハラ人兵士13人を殺害した事件をきっかけに、スリランカ北東部を拠点とするLTTEと政府軍との内戦が本格化しました。1987年にはインドが平和維持軍を派遣したものの、状況の改善に至らないまま1990年に撤退し、政府軍とLTTEの戦闘は激化しました(注3)。
その後、ノルウェーの仲介により2002年に停戦合意が成立したものの、この合意は事実上守られず、2005年以降には再び戦闘が激化しました。LTTEは欧米に住むタミル人からの支援も受けていましたが、政府軍が攻勢を強め、2009年にLTTE議長が死亡したことをもって内戦の終結が宣言されました(注3)。
植民地支配に端を発し、長年の内戦で先鋭化した民族間の分断を乗り越えるため、内戦終結後には和解のための取り組みも行われてきました。しかしながら、タミル人がシンハラ人や政府に抱く不信感が根強いことは、選挙におけるタミル人地域の投票率の低さなどにも現れています(注5 p. 292)。
難民の数に見るスリランカと日本の関係

スリランカでは内戦によって多くの難民や国内避難民が発生したことがわかりましたが、すでに触れたように、スリランカ難民の中には日本に避難している人もいます。そこで、日本でのスリランカ難民の受け入れ状況や、スリランカと日本の関係について詳しく見てみましょう。
スリランカ難民の日本での受け入れ
UNHCRが公開しているデータによると、2021年半ば時点で日本が受け入れているスリランカ難民の数は54人です。日本が受け入れている難民のうち、国籍が公開されていない難民を除くと、最も多いのはミャンマー難民です。これにアフガニスタン、シリア、中国、そしてスリランカが続いていますので、スリランカは日本にいる難民の出身国として5番目にその数は大きいことになります(注6)。
スリランカ出身者による日本での難民申請は、毎年数多く行われています。2020年度には難民申請の数全体がそれまでと比べて激減したため、スリランカ人の難民申請者は370人でしたが、その前の2019年には1,530人、2018年には1,551人のスリランカ人が日本で難民申請を行っていました。
難民申請数を出身国別に見ると、スリランカ人による申請は2019年度はトルコ、カンボジアなどを抑えて最多。また、2018年度はネパールに次いで2番目に多く、3番目に多いカンボジアを大きく引き離していました(注7 p.2)。
このように、多くのスリランカ人が難民として日本で生活していくことを望んでいます。
スリランカと日本の歴史的な関係
スリランカと日本は1952年に国交を樹立しました。それ以降、積極的に貿易を行い、多くの日本企業がスリランカに進出するなど、良好な関係を維持していますが、実は国交樹立の前にも、スリランカと日本の関係性にかかわる大きな出来事がありました。
1951年、日本が敗戦国となった第2次世界対戦を終結させ平和条約を結ぶために、「サンフランシスコ講和会議」が開かれました。この会議にセイロン(当時のスリランカの国名)代表として出席した故ジャヤワルダナ大統領は、対日賠償請求権を放棄する意向を示し、さらに、日本を国際社会の一員として受け入れるよう呼び掛ける演説を行いました(注8)。
「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」という仏陀の言葉を交えた大統領の演説は、日本に対する厳しい制裁を求めていた一部戦勝国の態度を軟化させたとも言われ、日本の国際社会への復帰を後押しした出来事として語り継がれています(注8)。
スリランカ難民に関わる日本の課題
このようにスリランカと日本の間に特別な縁があり、良好な二国間関係を築いてきたことは、現在の日本で多くのスリランカ人が難民認定を希望していることにも影響しているかもしれません。しかしながら、日本におけるスリランカ難民をめぐっては、制度にかかわる課題も認識されています。
2014年、難民申請を行ったものの不認定となったスリランカ国籍の男性2人が、不認定の通知を受けた翌日に強制送還される出来事がありました。男性らは、不認定の取り消しを求める訴訟を起こすことができなかったとして国に賠償を求めました。一審では請求が棄却されたものの、2021年9月の控訴審では、入国在留管理庁側の対応が違憲と認められました(注9)。そして、期限までに上告手続きが取られなかったため、同10月にこの判決が確定し、国側が60万円の賠償を行うこととなりました(注10)。
今回の判決は、今後の難民申請者への入国在留管理庁の対応に影響をおよぼしうる画期的な判決だとして、弁護団や研究者からは歓迎の声が挙がっています(注9)。一方、原告の男性は、強制送還された後にスリランカで政治的迫害を受けていると話し、再度日本で難民申請を行う意向を示したと報じられています(注10)。
スリランカを難民が帰還できる国にするために

先ほどご紹介した裁判の事例からは、内戦終結から10年以上が経過した現在でも、政治的迫害を恐れて難民認定を望むスリランカ人がいることがわかりました。スリランカを難民が帰還できる国にするためには何が求められるのかを知るため、現在のスリランカの状況や支援の例を詳しく見てみましょう。
内戦終結後のスリランカの状況
2009年に内戦が終結した後、スリランカは着実に経済成長を遂げてきました。しかし、LTTEなどタミル人武装組織の拠点であった北部や東部を中心に、基本的なインフラが荒廃している地域も残されています。この影響で、都市部との地域間格差や所得格差が拡大しているという課題もあります。
また、内戦後もタミル人の間ではシンハラ系の政府に対する不信感が根強く残っているということはすでに紹介しました。しかし民族和解の進展に関しては、国際社会からも厳しい見解が示されています。
人権に関する活動を行う国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、2021年に公表した報告書の中で、スリランカにおける説明責任や和解のための取り組みは結果を出すことに失敗し続けてきたと指摘。
さらに、被害者の制度への不信が悪化していること、スリランカ政府高官が過去の罪を認めずにいることなどを挙げ、スリランカは重要な人権侵害を引き起こすに至った政策や行いに回帰しつつあるとの強い懸念を表明しています(注11 p. 11)。
スリランカの人々のための日本の支援
このように、スリランカにはいまだに課題が山積している状況と言えますが、日本はスリランカに対してどのような支援を行っているのでしょうか。
日本はスリランカにとって、中国に次いで2番目に大きな援助国です(注12)。これまで、政府開発援助(ODA)を通してスリランカにさまざまな支援を行ってきましたが、その成果がどれほどスリランカで受け入れられているか、スリランカで発行された紙幣から垣間見ることができます。というのも、スリランカで2011年に発行された新紙幣のうち、1,000ルピー札、50ルピー札、そして20ルピー札の3種類の紙幣に、日本のODAで整備されたトンネルや橋、港の絵が描かれているのです(注13)。
最新の国別開発協力方針では、「包摂性に配慮した質の高い成長の促進」が大目標に掲げられており、スリランカの一層の成長と安定化を促進するため、成長のための基盤や制度の整備を中心に支援を行うことが示されています(注14)。
ワールド・ビジョンのスリランカへの支援
ワールド・ビジョン・ジャパンは、チャイルド・スポンサーシップを通してスリランカへの支援を継続しています。2009年に支援を開始したスリランカ東部のリディマリヤッダ地域は、スリランカで最も貧しい地域の1つです。この地域の住民の約半数が、スリランカ政府が定める貧困ライン以下の水準で生活しています。
そこで、ワールド・ビジョンは、仕立てや養蜂、養鶏などの小規模ビジネスを始めるための研修や、貯蓄グループを作るための研修など、貧困対策としてさまざまな支援を展開しています。さらに、子どもの権利と保護についての啓発活動や子育て支援プログラムなども実施中です。
リディマリヤッダ地域の住民で、元々は農業を営んでいたというある男性は、収入を補うために美容院を始めたもののうまくいっていなかったようです。そんな折にワールド・ビジョンの職業訓練に参加し、美容院の備品の支援を受けたことで、生活が良くなったと語っています。
「今では、美容院の仕事で収益を得られるようになりました。息子たちには栄養価の高い食事を食べさせ、学校に通わせられるようになりました。妻も貯蓄グループに参加して、収入の一部を貯金しています。子どもたちをより良い環境で育てられるようになり、とても幸せです」
チャイルド・スポンサーシップを通した支援は、このように着実にスリランカの人々の生活に変化をもたらしています。
チャイルド・スポンサーシップでスリランカの子どもを支援する

チャイルド・スポンサーシップは、月々4,500円、1日あたり150円の継続支援です。
チャイルド・スポンサーになっていただいた方には、支援地域に住む子ども、”チャイルド”をご紹介します。支援金はチャイルドやその家族に直接手渡されるのではなく、子どもの人生に変化をもたらすことを目指した、さまざまな長期の支援活動に使われます。
チャイルドは、皆さまと1 対1の関係を育み、支えられていく存在です。支援地域がどのように発展し、チャイルドがそこでどのように成長しているかという支援の成果を、毎年お送りする「プログラム近況報告」と、チャイルドの「成長報告」を通じて実感していただけます。
子どもたちが皆等しく健康で安全な環境で育ち、貧困のせいで教育の機会を奪われることなく未来に夢を描けるように、チャイルド・スポンサーシップへのご協力をお願いいたします。
※このコンテンツは、2021年3月の情報をもとに作成しています。
紛争により家を追われ、生活が一変した子どもたちに難民支援募金にご協力ください。
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