東日本大震災 第13報~第15報

2011.03.26

東日本大震災第15報:被災地からの声 (2011.3.26)

震災から2週間が経った南三陸町
震災から2週間が経った南三陸町

3月24日(金)、南三陸町に避難されているけいこさんから、お話を伺うことができました。けいこさんは、看護士として働いていた経験を生かし、避難して以来、休みなしでこの避難所で看護士として働いていらっしゃいます。

「地震が起こった時、まず非常用のバッグを車に積み込み、保育園に預けていた三女を迎えに行き、そのまま逃げました。中学2年生の長女とは2日間連絡がとれず、とても心配でした。地震が起こった当初は、食べ物や水などが不足していましたが、だいぶ落ち着いてきました。今は、これからの生活が一体どうなっていくのか、とても不安です。家も、仕事もなくなり、娘たちの学校も休んでいます。次女は6年生で、春から中学生になる予定でしたが、卒業式も入学式もいつになるか分かりません」

ゆいちゃん5歳(中央)と、りほさん(右)
ゆいちゃん5歳(中央)と、りほさん(右)

長女のりほさんも、今の心境を話してくれました。
「地震が起こり、家族と連絡がとれなかった時は、とても心配でした。4月20日には修学旅行で東京に行く予定で、とても楽しみにしていましたが、中止になりました。受験もどうなるのか、全然見当がつきません」

ピアノが大好きで、3月の卒業式で伴奏するため、地震の前日まで、毎日一生懸命練習していたというりほさん。ワールド・ビジョン・ジャパンのスタッフが「今、一番何をしたいですか?」と尋ねると、「ピアノが弾きたい」と答えてくれました。
「家には2台のピアノがあったのですが、1台は津波で流され、もう1台は車に潰されてしまいました」

けいこさん(前列右から2番目)
けいこさん(前列右から2番目)

地震が起こってから、三女のゆいちゃん(5歳)は赤ちゃん返りをし、お母さんから離れられなくなり、また2人のお姉さんたちも、眠れない日々が続いている、とけいこさん。
「娘たちには、安全な所に住まわせてあげたいです。また、多くの友だちが親戚の家に避難するなどして、さよならを言えないまま、別れることになってしまいました。どこにいるのか分からない友だちもいますし、私たちがここに避難していることを連絡したくても、できません。娘たちに、離れ離れになった友だちに会わせてあげたい。一番大切で、楽しいはずの時期にこんなことが起きてしまって、とてもかわいそうです」

ワールド・ビジョン・ジャパンは現在スタッフ7名を被災地に派遣し、行政機関や関係団体の方々に情報をいただき、また連携しながら、中・長期的な視点に立って、支援活動を続けています。

東日本大震災第14報:南三陸町へ緊急支援物資を届けています (2011.3.25)

3月11日(金)に発生した東日本大震災に対し、ワールド・ビジョン・ジャパンでは壊滅的な被害を受けた南三陸町(宮城県)で被災された方々のために、緊急支援を実施しています。その第3弾として、同町の避難所に避難されている方々約9,300名に、下記の緊急支援物資をお届けします。物資はすべて、株式会社チュチュアンナさまに寄贈していただきました。

 

上記の緊急支援物資は、26日(土)朝に東京を出発、同日夕方に南三陸町に到着する予定です。

震災発生から約2週間が経ち、被災された方々が必要とする支援内容は刻一刻と変わっています。ワールド・ビジョン・ジャパンでは、24日(木)より新たにスタッフ7名を被災地に派遣。災害対策本部や行政機関の方々に情報をいただき、また連携しながら、中・長期的な視点に立って、必要に応じた支援活動を続けていきます。

東日本大震災第13報:避難所で支援物資を配布 (2011.3.25)

支援物資を配布するWVJ堀切スタッフ
支援物資を配布するWVJ堀切スタッフ

3月24日(木)、皆さまのご支援により登米市に届けた下着(男性用・女性用)6,400枚の一部を、登米市津山若者総合体育館に避難されている方々にお届けしました。同体育館には、3月24日現在291名(女性135名、男性156)の方々が避難されており、うち16名が13歳未満の子どもたち、83名が55歳以上の方々です。皆さん、主に津波により壊滅的な被害を受けた、南三陸町より避難された方々です。

291名の皆さまは、以前は市内にあるふれあいセンター、横山公民館、柳津小学校、横山小学校に避難されていましたが、終業式で学校を利用する必要があるため、3月20日(日)からこの体育館で生活されています。親戚の家に身を寄せていた方々で、長期的な滞在は難しいなどの理由からこの体育館に避難される方も多く、人数は少しずつ増加しています。運営を担当する登米市職員の方は「帰る所がない人は増えていますが、この避難所は300人が上限です」と話してくださいました。

話し合いのようす
話し合いのようす

避難所の運営は、登米市職員の方々だけでなく、避難されている方々自身も積極的に参加しています。避難されている方々は地区別に4班に分かれ、各班の班長さんが毎日定期的にミーティングを持っています。ワールド・ビジョン・ジャパンがお届けした下着の配布方法も、班長の方々の話し合いによって決定されました。

下着は、サイズ別にダンボールに入れ、班長の方々とワールド・ビジョンスタッフが、年齢の若い方々から順番に配布。班長の方が「10代の女性の方」などとグループ別に呼び、別の班長の方が避難されている方々の名簿を確認し、確認がすんだ方々から受け取っていきました。下着を受け取られた方々からは、「下着が必要だったから、助かった」という声を多くいただきました。

下着を受け取られた皆さん
下着を受け取られた皆さん

また、避難されている方々から、震災発生当時のようすを伺うことができました。

「この世の終わりかと思うような揺れが続き、地球が壊れるんじゃないかな、と思いました。ショックでした。大きな波が来て、町全体を飲み込んでしまうんじゃないかと思いました。舗道に行こうとしましたが、建物が壊れていて、道路も陥没していたので行けませんでした。立体駐車場に止めていた車を、まだ地面が揺れる中なんとか出して、山に向かって逃げたので助かりました。まだ怖さが残っています。慢性のぜんそくが悪化し、不眠も続いています」(60代、女性)

「4班が交代で、約300人分の食事を1日3回作っているので、とても大変です。朝食は朝5時に起きて、各班で16~17名の女性が準備しています。少しずつ仕事に出て行く人が増加して、食事に間に合わない人もいるため、保存できるカップヌードルなどがほしいです」(50代、女性)