東日本大震災 第7報~第9報
2011.03.20
東日本大震災第7報:事務局長の片山が被災地入り (2011.3.18)
3月17日より、ワールド・ビジョン・ジャパン事務局長の片山信彦(かたやま のぶひこ)が、緊急支援と被災状況の調査のため、宮城県に入りました。また本日3月18日、宮城県登米市に羽毛布団4,500枚(寄贈:イケア・ジャパン)、ミネラルウォーター4,800本(寄贈:阪神酒販株式会社)、大人用紙おむつ2,000人分が到着。登米市役所職員の皆さまや、近隣の中学校の先生方、また生徒さんたちのご協力のもと、無事に登米市役所の倉庫に搬入されました。これらの支援物資は、近隣の避難所の要請にあわせ、適宜被災者の方々に送られます。
また本日3月18日、片山は南三陸町の避難所を訪問。被災されている方々に、お話しを伺いました。家族5人で被災した女性は、津波発生時の経験を以下のように語ってくださいました。
「津波は、高台にある自宅のすぐ近くまで来ました。下の町が津波に飲み込まれていくのを見ながら、子どもと一緒に、必死で山の上まで逃げました。7歳の息子は、小学校が高台にあったため無事でした。一晩、先生や同級生と一緒に新聞紙をかけて寝たそうです。生活の再建は、今は考えられませんが、私たちだけでなく皆が大変です。今は、子どもたちが生きているだけでありがたいです。子どもたちがいるから、私も生きられます」
片山は「南三陸を訪問し、今回の震災による物理的な損害の深さと同時に、人々の人生に、また心に残された爪あとの深さを感じています。しかし、希望もあります。避難所で、たくさんの子どもたちが仲良く遊んだり、協力しあったりしている姿を見ました。子どもたちは希望です。この希望を、子どもたちの生命を絶やしてはいけません。ワールド・ビジョン・ジャパンとして、被災された方々のこれからの人生、特に子どもたちの人生のために、我々にできることをしたいと思っています」と語っています。
東日本大震災第8報:被災した子どもたちから話を聞きました (2011.3.19)
3月18日に南三陸町の避難所を訪問したワールド・ビジョン・ジャパン事務局長の片山は、被災した子どもたちからも話を聞きました。
家族で被災している菅原将博君(15歳)
「11日は、学校にいました。地震が起きたので皆で校庭に出ていましたが、津波が来るのが分かり、皆で慌てて屋上に逃げました。僕は胸まで水につかりましたが、必死で走って、何とか生きのびました」
姉の夏美さん(18歳)
「4月から、県内の福祉大学に進学する予定でした。元々、将来は途上国の人たちのために何かをしたいと思ってたんです。今回の津波で、自分がこういう状況になって、特にそう思います。支援してくれてる人たちのために、いつか自分も恩返ししたいと思っています」
「日本中、世界中の人たちが支援してくれてることが嬉しいです」
「会ったことのない、日本中、世界中の人たちが支援してくれてることが嬉しいです。
その分、立派な大人になりたいと思います」と将博君も語ります。
東日本大震災第9報:皆さまの支援が届き始めています (2011.3.20)
皆さまのご支援によって登米市の避難所に送ることが出来た赤ちゃん用オムツ13万個。そのオムツを役立ててくださっている西城さち江さんからお話しをお伺いすることが出来ました。
西城倖花(こうか)ちゃん(1歳4ヵ月)のお母さんのさち江さんは、地震の時の様子を次のように話してくださいました。
「南三陸町の自宅で、倖花にお昼寝をさせていた時に地震は起こりました。倖花を抱いて外に出た後も地震は本当に長く続きました。これは津波が来る、と思いました。急ぎ倖花の身の回りのものなどの荷物を持って日ごろ訓練をしている避難所に逃げました。しかし、海は、まるでお風呂の水があふれるようにまたたく間に水かさを増し、大きな津波となって迫ってきました。その大きさを見た時、今居る避難所では助からないことが分かり、倖花を抱いて必死で山をよじ登りました。高台に着いた時、ミシミシと音を立てて自宅が津波に流されていくのを見ました。
その日は雪が降っており、とても寒かったのですが、13人位のご近所の皆さんとともにそこで野宿をしました。持って逃げた荷物も何もかも流されてしまったので、倖花のオムツに困りました。その時、ペット用のトイレシートを持っておられた方がそれをくださり、オムツの上に重ねてオムツ代わりにしました。また、お腹をすかせた倖花のためにと、ご年配の方がポケットにあった黒飴をくださいました。それはとても硬かったのですが、なんとか噛み砕いて倖花に与えました。
夜が明けて、消防署の方が助けに来てくださり、また津波がくるかもしれないという恐怖の中、急いで歩いて逃げました。途中のホテルで少し休憩をした後、サンダルだった私は、それを脱いで靴下のまま線路の枕木を歩き続けました。背中の倖花は、『イチ、ニ。イチ、ニ。』と応援をしてくれました。途中、真っ暗なトンネルの中を歩く時には、皆さんが携帯の明かりで助けてくださいました。
何とか、救助のバスがくるところまで出て、この登米市の横山小学校の避難所にたどり着いたのは夕方の4時頃だったと思います。
大人は、食べ物や着るものが無くてもしばらくは何とかなります。けれど、子どものためのオムツやミルクなどが無いと本当に困ります。避難所にオムツを届けてくれて本当に良かったです。ものすごく助かっています。家もお金も全て無くしましたが、本当に、皆さんに助けられています。」
倖花ちゃんの無邪気な笑顔は、西城さんご家族と倖花ちゃんの祖父母である小山さんご夫妻のみならず、避難しておられる皆さんにとっても慰めと希望の光となっているようでした。避難所である横山小学校に掲げられている言葉、「はばたけ未来へ」は、倖花ちゃんに贈られる言葉でもあると思えました。

