東日本大震災 第4報~第6報

2011.03.17

東日本大震災第4報:登米市で緊急支援物資の配布を行います (2011.3.15)

3月11日(金)に発生した東日本大震災に対し、ワールド・ビジョン・ジャパンでは宮城県の要請を受け、およそ6,000人の方々が避難している宮城県登米市において、緊急支援物資を配布することを決定しました。
緊急支援物資の調達に際しては、以下の企業にご寄贈/ご提供をいただきました。その内訳は以下の通りです。

 

これらの緊急支援物資を3便に分けて登米市に向けてトラックで出していきます。
第1便として大人用おむつを今日15日火曜日の夜に現地に向けて送り、第2便としては16日水曜日にミネラルウォーター、赤ちゃん用紙おむつ、女性用生理用品を送ります。そして、第3便として羽毛布団をトラックにて出していきます。
援助支援物資が届き次第、避難所での生活を余儀なくされている方々へ配布を行っていきます。

右の動画は、事務局長片山が、支援物資発送の現場より、進捗報告と挨拶をしています。


東日本大震災第5報:支援物資配布予定の登米市の避難所を訪問(2011.3.16)

登米市にある避難所の1つ登米中学校
登米市にある避難所の1つ登米中学校

3月16日、支援物資配布予定の避難所の1つ登米市にある登米中学校を訪問しました。最も津波による被害の大きかった南三陸町の隣に位置するのがこの登米市。南三陸町より避難してこられた方々もこの避難所にたくさんいらっしゃいます。
避難された方の一人、村岡賢一さん(60歳)にお話しをお伺いしました。自治会長でもあった村岡さんは、自治会で普段から津波のための訓練も行っており、この時も地震が起こると同時に訓練時の避難所に家族と共に向かい避難されていたそうです。しかし、地震からおよそ25分後に襲ってきた津波は少し高台にある避難所よりも大きくあわてて山の頂まで逃げて助かったということでした。津波は山よりも大きかったそうです。

村岡賢一さんと話を聞く坂スタッフ

その後2日間、逃げてきた30人ほどの人たちと一緒にそこで過ごしました。家は壊れてしまって帰ることが出来ず、頂に残っていた壊れかけの2件の家よりお米を見つけ、水かなかったので雪を溶かし、その雪でお米を炊き生き延びることが出来たということです。村岡さんはこの津波による被害で6人の親戚の方を亡くされたそうです。また、漁師として生計を立てていらっしゃったのですが、船も高台に流されてしまい、これからの生活の目処が全く立たないとお話ししてくださいました。そんな中でも避難所で、もともと住んでいた地域の方々を同じところに集めるなどの工夫をし、被災した方々が助け合って乗り切っていけるよう工夫をされていました。

東日本大震災第6報:緊急支援物資が到着 (2011.3.17)

搬入のようす
搬入のようす

本日、宮城県登米市に大人用紙おむつ2,000人分、赤ちゃん用紙おむつ130,000枚、女性生理用品100,000枚(寄贈:P&G)が到着。登米市役所職員の皆さまや、近隣の中学校の先生方、また生徒さんたちのご協力のもと、無事に登米市役所の倉庫に搬入されました。これらの支援物資は、近隣の避難所の要請にあわせ、適宜倉庫より各避難所に送られます。

そのうち、大人用紙おむつ80箱は、17日のうちに南三陸町の災害対策
本部に送られました。同町は津波によって壊滅的な被害を受け、現在
40カ所の避難所に、およそ9,600人の方々が被災しています。17日到着した支援物資は、18日各避難所に届けられる予定です。

ワールド・ビジョン・ジャパンの支援に対して、町長の佐藤仁さんは
「今、私たちは皆さんの支援に助けてもらうしかない状況なので、本当にありがたい。ただきっと、1~2カ月経てば報道も減り、南三陸町のことは忘れられてしまうでしょう。しかし、少なくとも復興には1~2年はかかります。短期的な支援で終わらず、継続的に支援してほしい」と語っています。

津波発生時のようすを語る副町長の遠藤さん
津波発生時のようすを語る副町長の遠藤さん

「地獄のなかを生き抜いている」

また、副町長の遠藤賢治さんは、津波が発生した当日のようすを以下のように語りました。
「この地域は、昭和35年に宮城県沖地震があって以来、50年以上にわたって毎年5月24日(宮城県沖地震発生日)には防災訓練をしており、町民の地震や津波に対する意識はとても強かった。しかし、今回の津波は私たちの考えをはるかに越えていました。3月11日、私は町の本庁舎で会議をしていましたが、津波によって若い職員が大勢亡くなりました。今は、まさに地獄のなかを必死で生き抜いているという思いです」

ワールド・ビジョン・ジャパンでは南三陸町の依頼を受け、今一番必要な支援物資を1秒でも早く届けられるよう、調整しています。