南三陸町の校長先生が語る、震災直後の子どもたち

2012.02.21

第65報:南三陸町、戸倉小学校の校長先生が語る、震災直後の子どもたち

2月10日(金)、震災発生直後から支援を届けている、南三陸町立戸倉小学校の麻生川校長先生が、ワールド・ビジョン・ジャパンの東京事務所を訪ね、震災発生当日の様子と、その後のワールド・ビジョン・ジャパンとの出会いについて語ってくださいました。その内容をご紹介します。

「これは、ものすごい津波が来る」と直感しました

津波にのまれる戸倉小学校の校舎(写真提供:麻生川校長先生)
津波にのまれる戸倉小学校の校舎(写真提供:麻生川校長先生)

「戸倉小学校は、南三陸町内の海岸にあり、海からの距離はわずか200~300m。子どもたちは地域の温かい人々に見守られ、また豊かな自然に育まれながら、のびのびと学校生活を送っていました。しかし、3月11日に発生した東日本大震災によって、子どもたちと教職員は、大きな困難を経験することになります。

3月11日、午後2時46分。これまで経験したことのないような激しい揺れが、5分間くらい続きました。とても歩くことができず、校庭がまるで水のように波打っているのを見て、“これは、ものすごい津波が来る”と直感しました。

波に追われるように、高台よりさらに上へ

一晩を過ごした神社(写真提供:麻生川校長先生)
一晩を過ごした神社(写真提供:麻生川校長先生)

揺れが収まると、すぐに児童たちを校庭に集め、校舎の裏にある高台に避難することを決めました。しかし、高台に到着して海を見つめていると、津波が防波堤を壊し、戸倉小学校の校舎、そして完成したばかりの体育館を飲み込んでいました。

“津波は、この高台にも届くかもしれない”。そう思い、子どもたちと波に追われるように、高台よりさらに上にある神社に逃げました。神社にたどり着くと、さっきまで避難していた高台も、波に飲まれていました。波は轟音を立てながら、学校、住宅、車、あらゆる物を飲み込み、神社から見える景色は、すべて海のようになっていました。
戸倉小学校の子どもたちは、まさに陸の孤島に取り残されてしまったのです。

次の波が来たら、もうダメかもしれない

全壊した校舎
全壊した校舎

神社に到着してから、最初の波は引きましたが、津波は、第2波、第3波の方が高くなると言われています。子どもたちを神社の真ん中に集め、“これ以上波が来たら、木に登りなさい”と言っていた先生もいました。 “次の波が来たら、もうダメかもしれない”と、半分覚悟していました。

津波は、轟音を立てながら家々を潰し、周囲の杉林を倒し、子どもたちの目の前を流れていきました。そのような中で、子どもたちは相当な恐怖を感じたと思います。しかし、泣いている子はいたものの、パニックに陥る子どもは1人もいませんでした。泣いている子を、慰めている子もいました。

歌を歌い、励ましあいながら、一晩を過ごしました

子どもたちが身を寄せていた避難所
子どもたちが身を寄せていた避難所

また神社には、地域の人々が150人くらい避難していましたが、取り乱している人は1人もいませんでした。学校では、災害が発生した時のために、いろいろなマニュアルを準備していましたが、本当に災害が発生した時に大切なのは、普段からの地域、人々のつながりなのだと、あの日のことを振り返って実感しています。

避難していた人たちからは、“もっと高い山に逃げた方がいいんじゃないか”という意見があがりました。しかし、保育所の子どもたちや、酸素ボンベをつけているおじいさんなどがいて、これ以上歩くことはできず、神社に残る決断をしました。

その日の夜は、雪が降り、凍えるような寒さになりました。子どもたちは、卒業式に歌う予定だった歌を歌い、励ましあいながら、一晩を過ごしました」

子どもたちは驚くくらいとても“いい子”でした

ミーティングのようす
ミーティングのようす

震災発生から2日後、子どもたちと先生は、親や地域の他の人たちと一緒に、隣接する登米市の中学校に避難しました。

「避難所では、初め子どもたちは驚くくらいとても“いい子”でした。しかし、それは周りの大人たちを見ていたからです。日頃見たこともない、打ちひしがれたお父さんやお母さんの姿を見て、“自分たちは、ふざけてはいけない”という思いで、我慢していたんだと思います。しかし、避難してから少しずつ経つと、夜に泣いてしまう子どもや、熱を出す子ども出始めました。

ワールド・ビジョンが避難所を訪ねて来たんです

ミーティングで、自己紹介の絵を書く子どもたち
ミーティングで、自己紹介の絵を書く子どもたち

震災発生から6日後、すべての生徒を保護者に引き渡し、他の先生たちとともに学校の再開に取り組むことになりました。しかし、児童の8割、先生の5割は、津波のために家が全壊。学校の再開と同時に、先生たち自身の生活も再建しなければならない。子どもたちも、親たちも、先生方も、誰もが大変な状況でした。そんな時に、

“ワールド・ビジョンです”という人が、避難所を訪ねて来たんです。

(ワールド・ビジョン・ジャパンという団体を知らなかったので)最初は、まず“怪しい”と思いました。しかし、的確な対応を見ているうちに信頼感が生まれ、まず学校再開にあたって必要な物品を支援してもらうことになりました。そして、“チャイルド・フレンドリー・スペース”で、子どもたちの心のケアもできる、という話をいただきましたが、子どもたちを傷つけることなく扱うことができるか不安だったので、まず1回、開催してみることになりました。

「子どもたちを任せても大丈夫だ」と思いました

チャイルド・フレンドリー・スペースで、宿題をする子どもたち
チャイルド・フレンドリー・スペースで、宿題をする子どもたち

3月30日、避難所内の図書室で開催されたミーティングで、集まった約20名の子どもたちの希望を聞き、アイディアを集めながらチャイルド・フレンドリー・スペースについて決めていくようすを見て、“これは、子どもたちを任せても大丈夫だ”と思いました。
思い返すと私たちへの支援の提案の仕方も決して押しつけではなく、私たちの要望に応える形で行ってもらったと思っています」

この日から、ワールド・ビジョン・ジャパンは戸倉小学校の子どもたちのために、チャイルド・フレンドリー・スペースを運営。5月の学校再開後も、校舎内に設置し、先生たちと連携しながら、子どもたちの心の変化を見守り続けています。

チャイルド・フレンドリー・スペースがあったことによって

麻生川校長先生
麻生川校長先生

「チャイルド・フレンドリー・スペースがあったことによって、子どもたちは、震災によって途絶えてしまった、親や先生以外の人々との“インフォーマルな関係”を持つことができました。
日常生活のなかで、聞いてほしいことや、頑張ったことを受け止めてくれる人たちがいたことで、戸倉小学校の子どもたちは、震災後不安定になった心の波を乗り越えることができました。本当に、感謝しています」

ワールド・ビジョン・ジャパンは引き続き支援活動を行っていきます

感謝の気持ちを伝える子どもたち(写真提供:戸倉小学校)
感謝の気持ちを伝える子どもたち(写真提供:戸倉小学校)

学校再開後、戸倉小学校の子どもたちは、国内外から寄せられた多くの支援に感謝の気持ちを表すために、小さな模造紙を貼り合わせ、校舎が隠れるほどの大きな垂れ幕を制作。その垂れ幕には、こうあります。

“みなさんからの温かい励まし、たくさんのご支援ありがとうございます。みんな元気です!”

被災地が1日も早く復興し、戸倉小学校の生徒たちを始めとする子どもたちが健やかに成長できる環境が整えられるよう、ワールド・ビジョン・ジャパンは引き続き支援活動を行っていきます。



第64報:気仙沼漁協・超低温冷蔵庫が一部稼働再開!(2012.2.1)

東日本大震災によって甚大な被害を受け、稼動を休止していた気仙沼漁業協同組合(以下気仙沼漁協)の所有する超低温冷蔵庫が、2月1日(水)に一部稼動を再開します。

宮城県気仙沼市では、東日本大震災によって水産業関連施設の多くが被災し、地域の水産業そのものの衰退が懸念されていました。
地域の多くの水産・加工業社は、震災直後より冷凍冷蔵庫の早期復旧を切望しており、気仙沼漁協はそれに応えるべく、同組合所有の超低温冷蔵庫の修復を決定し、その費用のうち、3分の2は国からの補正予算によって補填されることになりました。

しかし、気仙沼漁協では、他の施設等の整備も控え、自己負担の資金計画を模索していたところ、ワールド・ビジョン・ジャパンから資金支援の申し出を行いました。

子どもたちの健やかな成長のために

超低温冷蔵庫(2011年10月撮影)
超低温冷蔵庫(2011年10月撮影)

被災地において、子どもたちが健やかに成長できる環境が1日も早く整えられることを目指して活動しているワールド・ビジョン・ジャパンは、地域の雇用を改善することを目的として、地盤産業である水産業・加工業の復旧を目指す気仙沼漁業協同組合の取り組みをサポートするため、超低温冷蔵庫の修復にかかる費用のうち、気仙沼漁協の負担分を支援することを決定いたしました。

この超低温冷蔵庫の一部稼動再開に伴い、2月8日(水)10時より、超低温冷蔵庫のお披露目式を開催します。
当日のようすは、今後ご報告します。




第63報:復興プロセスに子どもたちの声を!(2012.1.27)

1月22日(日)、“「子どもに笑顔を 地域に夢を」南三陸まちづくりプロジェクト”の第2回目となるワークショップを開催しました。当日は宮城県南三陸町ボランティアサークル「ぶらんこ」の子どもたち5名が参加。インフルエンザなどの影響によって人数は少なめでしたが、主体的に話し合いに参加し、子どもたちにとって南三陸町がより良く復興するためにはどんなことが必要で、自分たちには何ができるか、積極的に意見を交わしました。

不安の声も

震災によって大きな被害を受けた南三陸町
震災によって大きな被害を受けた南三陸町

参加した子どもたちはまず、南三陸町教育委員会の石澤さんから、町の復興計画に盛り込まれている土地利用イメージ図をもとに、南三陸町での新しいまちづくりについて説明を受けました。
「復興計画の中には、すでに実施が決まっている内容もあります。“震災前はこうだったから”という思いにとらわれず、これまで皆で話し合ったことや、新しく決まったこと、知ったことを参考にしながら、現実的に自分たちにできることは何かを考えて、議論していきましょう」と、石澤さん。

現在は山や空き地の場所に、鉄道や道路が走っているイメージ図を見て、子どもたちからは驚きの声とともに、
「きれいな海や自然がなくなって、南三陸町らしさがなくなってしまうんじゃないかと心配」
「図を見ても、あまりピンとこない。終わるまでに何年かかるんだろう」
「高台に移転した後も、人と人とのつながりがなくならないようにすることが必要だと思う」
といった声があがりました。

自分たちにできることを話し合いました

話し合いのようす
話し合いのようす

ワールド・ビジョン・ジャパン子ども参画アドバイザーである木下勇氏(千葉大学教授)のファシリテーションのもと、今後の具体的な活動計画について話し合いました。

「“子どもたちを笑顔にする”という目的を達成するためには、町にしてほしいことを伝えるだけではいけません。一緒に復興に取り組む仲間として、自分たちにできることを提示することが大切です。そして、他の子どもたちの思いを代弁することも、ジュニア・リーダーの役割です」と、木下氏。

「現状の課題」、「目標の姿」、「具体的に何をするか」、「誰が」、「いつまでに」の5項目を立て、それぞれのアイディアを書き出していきます。

たくさんのアイディアが生まれました

たくさんのアイディア
たくさんのアイディア

子どもたちからは、「仮設住宅を訪問して、引きこもりがちになってるお年寄りとか、外で遊べない子どもたちと一緒に遊んだら、元気になってくれるんじゃないかな?」
「ジュニア・リーダーが震災の“語り部”になれば、子どもたち目線の経験や、震災の怖さを伝えれば、他の地域に住んでる同世代の子たちにも興味を持ってもらえると思う」
など、自分たちにできることや、
「町の人たちが交流できるように、新しい公民館にはカフェを併設してほしい」
といった町への要望など、たくさんの意見があがりました。

ワークショップに参加した臼井さん(中1)は、「まとめられるか不安だったけど、思ったよりたくさんの意見が出たので嬉しかったです。自分たちが考えたことを伝えられるように、皆で頑張りたいと思います」と、話してくれました。

今日出たアイディアをより具体化し、3月25日(日)に行うイベントに向けて、準備していく予定です。





バックナンバー

第1報:支援を決定、募金受付を開始しました(2011.3.12)
第2報:被災地に向けて出発しました (2011.3.13)
第3報:被災状況調査で仙台にいる坂スタッフより、メッセージが届きました (2011.3.14)
第4報:登米市で緊急支援物資の配布を行います(2011.3.15)
第5報:支援物資配布予定の登米市の避難所を訪問(2011.3.16)
第6報:緊急支援物資が到着(2011.3.17)
第7報:事務局長の片山が被災地入り(2011.3.18)
第8報:被災した子どもたちから話を聞きました(2011.3.19)
第9報:皆さまの支援が届き始めています(2011.3.20)
第10報:南三陸町に緊急支援物資を輸送しています(2011.3.22)
第11報:被災している子どもたちの声(2011.3.23)
第12報:支援物資が届いています(2011.3.24)
第13報:避難所で支援物資を配布(2011.3.25)
第14報:南三陸町へ緊急支援物資を届けています(2011.3.25)
第15報:被災地からの声(2011.3.26)
第16報:皆さまからの温かいご支援が南三陸町に届いています(2011.3.28)
第17報:南三陸町/登米市へ 衛生キット3,750セットを届けます(2011.3.28)
第18報:南三陸町/登米市へ 衛生キット3,750セットを届けました(2011.3.30)
第19報:チャイルド・フレンドリー・スペース「ぜんいんしゅうごう!」(仮)が始まります!(2011.3.30)
第20報:気仙沼市に緊急支援物資を届けました!(2011.4.1)
第21報:チャイルド・フレンドリー・スペース「全員集合!」(仮)第一回目開催!(2011.4.2)
第22報:南三陸町の避難所でも、チャイルド・フレンドリースペースが始まります(2011.4.4)
第23報:地元高校生もボランティアとして参加!チャイルド・フレンドリー・スペース(2011.4.5)
第24報:東日本大震災発生から1カ月が経ちました (2011.4.11)
第25報:一関事務所を開設 (2011.4.15)
第26報:登米市で新しくチャイルド・フレンドリー・スペース開始! (2011.4.18)
第27報:気仙沼市の子どもたちに学用品を届けます(2011.4.20)
第28報:被災地の子どもたちに世界の子どもたちからのメッセージを届けました!(2011.4.21)
第29報:気仙沼市の子どもたちに、学用品を届けました!(2011.4.21)
第30報:南三陸町の子どもたちに学用品を届けます!(2011.4.28)
第31報:避難中の子どもたちの声 -チャイルド・フレンドリー・スペースの現場より(2011.4.28)
第32報:南三陸町の子どもたちに、仮設トイレを届けました(2011.4.29)
第33報:発生から2カ月 子どもたちの必要に寄り添う支援(2011.5.6)
第34報:学校再開に向けて、地元中学生がボランティア活動に参加 (2011.05.09)
第35報:岩手県の仮設住宅に、最初の生活支援物資を届けました! (2011.05.10)
第36報:南三陸町の子どもたちに、学用品を届けました (2011.05.10)
第37報:大きな一歩!戸倉小・中学校での入学式(2011.05.12)
第38報:岩手県野田村の仮設住宅に、生活支援物資を届けました(2011.05.16)
第39報:ジュディ・オングさんが、宮城県の被災地を訪問 (2011.05.24)
第40報:岩手県宮古市の仮設住宅に、生活支援物資を届けました!(2011.05.25)
第41報:南三陸町の小学校で、運動会を開催!(2011.05.30)
第42報:南三陸町で、おかず給食支援を開始します(2011.05.31)
第43報:南三陸町で、コミュニティ・キッチンがはじまります(2011.06.01)
第44報:南三陸町で、おかず給食支援が始まりました!(2011.06.03)
第45報:発生から3カ月~日常生活を取り戻すために~(2011.06.10)
第46報:南三陸町の保育所の子どもたちに、おいしいパンと牛乳を届けます(2011.06.13)
第47報:子どもたちが健やかに成長できる社会を目指して(2011.06.30)
第48報:コミュニティ・キッチンが喜ばれています(2011.07.01)
第49報:支援を受けていた側から、届ける側へ ~渡邊スタッフのストーリー~(2011.07.13)
第50報:気仙沼市でも、コミュニティ・キッチンがスタート(2011.07.26)
第51報:子どもたちが安心して、楽しい夏休みを過ごせるように(2011.08.10)
第52報:「やっと卒業できた」-5カ月遅れの卒業式-(2011.08.23)
東日本大震災緊急復興支援についておよび緊急期報告書(2011.08.31)
第53報:発生から6カ月 ~復興に向けて、新たな課題に取り組んでいます~ (2011.09.07)
第54報:東日本大震災発生当初から支援活動を行ってきた、坂スタッフよりの報告 (2011.09.09)
第55報:新潟の知恵を東北へ-「仮設のトリセツ」 (2011.09.15)
第56報:福島県浪江町の子どもたちのために、イベントを開催!(2011.09.28)
第57報:福島県浪江町の子どもたち、笑顔の再会(2011.10.07)
東日本大震災緊急復興支援 第2期支援計画(2011.09.07)
第58報:J.Y.J.さんからの応援メッセージを、被災地に届けました(2011.10.12)
第59報:岩手県野田村に、「暮らしの必需品」をお届けしました(2011.10.25)
第60報:福島県外避難者の方々のために、交流イベントを開催!(2011.11.10)
第61報:福島から新潟に避難している方々の「ふるさと交流会」を開催!(2011.11.29)
第62報:「子どもに笑顔を 地域に夢を」南三陸まちづくりプロジェクト始動!(2012.01.18)
第63報:復興プロセスに子どもたちの声を!(2012.01.27)
東日本大震災緊急復興支援 活動期間の方針について(2012.02.01)
第64報:気仙沼漁協・超低温冷蔵庫が一部稼働再開!(2012.02.01)
第65報:南三陸町、戸倉小学校の校長先生が語る、震災直後の子どもたち(2012.02.21)