ハイチ大地震 第3報
2010.01.15
地震発生時、ポルトープランスに滞在していたワールド・ビジョン・カナダのウィルフレッド・メッガースタッフより、報告が届きました。
【1月12日(火)】
「地震がおさまると、崩れ落ちたがれきの粉塵が舞い、人々の泣き叫ぶ声が空を覆いました。
そして私が泊まっていたホテルは、あっという間に一時的な病院になりました。応急処置の経験がある人々が“医者”になり、ベッドシーツを裂いて包帯に、プールにあった椅子を担架に、幅木を折って添え木にしました。夜になって暗くなると、私たちは車のヘッドライトを使って病院を続けました。
11時頃まで、次々と負傷者が押し寄せてきました。学校から帰宅途中に地震にあい、がれきの下敷きになっていたところを救助された少女、足首を骨折し、足が外側に向いてしまった少年…。激痛のため、泣き叫ぶ声が響いていました。そして、小さな揺れを感じるたびに、歩ける人々は先を争って道路に飛び出します。道路は、救援を求める人々や、負傷者のうめき声で溢れていました。
私は、夜明けとともに救助隊が来ることを願っていましたが、やって来たのは更なる負傷者の波でした。さらに多くのベッドシーツを包帯に、家具を添え木にしました。私たちのベッドシーツと、私たちの心そのものが、救助隊の代わりとなったのです」
【1月13日(水)】
「水曜日も、負傷者の波は1日中続きました。道路にはテントが建ち並び、負傷者のうめき声が響き、幼い子どもたちが横たわっていました。小さなベッドシーツだけでは、この状況をどうにもすることができませんでした。
また空では、1日中多くのヘリコプターが飛び回っていました。ホテル前の小さな通りが緊急の空輸ポイントとなり、死の危険にさらされている負傷者が搬送されていきました。ベッドシーツの包帯によって、彼らの命はなんとかここまで保たれたのです。残された親たちが私たちのシャツをつかみました。私たちしか、包帯を持っている者は、彼らに希望を与えられる者はいなかったのです。
夜になると、余震は昨夜よりも強くなってきました。夜中の2時頃、人々は空き地に集まりました。余震のたびに、恐怖で叫ぶ声や、幼い子どもたちが暗闇で泣き叫ぶ声が聞こえました。このような状況では、親たちはどうやって子どもたちを守ればいいのか、分かるはずがありません。子どもたちのために、何とか日常を取り戻そうとしても、かつての家は崩れてがれきとなってしまったのです。余震のたびに、倒壊した建物がさらに崩れ、更なる負傷者が生まれ、不安が増しました。最後に安心して夜を過ごしたのは、いつだったのでしょう?いつになったら、また安心してベッドで眠ることができるのでしょう?
新しい負傷者は、夜明けまでヘリコプターを待たなければなりません。親たちは、子どもたちの負傷が命に関わるものではなくても、ヘリコプターに乗れる程度のものであるようにと祈っています。深刻な負傷が、治療を受ける唯一の切符であるというのは、信じられないことです。同時に、骨折した男性、右目がはれ上がった幼い男の子、背中じゅうに傷を負い、頭に大けがをした少女たちは、“重傷ではない”と判断されました。
通常ならば、このような負傷者を見たら人々の心は張り裂けるでしょう。しかしここでは、人々は
“彼らは生きている”と安心するのです。ベッドシーツの包帯以上のものを望んでいた親たちは失望するでしょうが、少なくとも包帯は遺体を包んではいないのです。
恐らく、夜が明ければもう少し状況が見えてくるでしょう。太陽が出ている間は、まだ希望を持っていられるのです」
募金のご協力をありがとうございました。募金受付は終了させていただきました。

